ガラタサライ長友インタビュー「テリム監督とはイタリア語で話している」
2018年03月14日付 Cumhuriyet 紙
ガラタサライに新しく移籍した長友佑都選手が、同クラブチーム公式マガジンのインタビューに答えた。
ガラタサライの日本人選手である長友佑都は、「ファーティフ・テリム監督は素晴らしいコーチであると同時に非常にいい人です。選手にどうアプローチすべきかをとてもよく分かっています。監督とはよくイタリア語で話しています」と述べた。
クラブマガジン175号でインタビューで、長友佑都選手は次のように語った。
―ファーティフ・テリム監督は、トルコサッカー界最大の生ける伝説的存在ですが、彼と働くことをどう思いますか?
「ガラタサライはとても大きなクラブチームです。僕がこのチームに来た理由の1つは、ガラタサライがとても大きく、有名で歴史のあるチームだということです。もう1つの理由としてファーティフ・テリム監督の存在を語らなければなりません。ファーティフ監督のことは以前から知っていました。サッカー界でその名は有名だからです。彼と働けることは、僕にとって重要なモチベーションになりました。ガラタサライとファーティフ・テリム監督という要素が1つになって、このチームに来る充分な理由ができました。監督は素晴らしいコーチであると同時に非常にいい人です。選手にどうアプローチすべきかをとてもよく分かっています。監督とはよくイタリア語で話しています」
―イタリアの次にトルコに来ましたが、ピッチでのプレーは、来る前に考えていたものと同じでしたか?
「僕は7年間イタリアにいました。それ以前は他の場所を知りませんでした。僕の初めての外国経験だったからです。もちろん来る前は分からないことばかりでした。サッカー観の違いだけではなく、言葉の違い、文化の違い、人の違い…。だから、望もうが望むまいが、疑ってしまうことや悩んでしまうことがありました。こうしたことを自分自身に何度も問いかけました。ですが、ここに来たら僕の中で全てがハッキリしました。1週間で適応したと言ってもいいです。ファーティフ監督だけでなく、チームメイトやテクニカルチーム、そして専門家チームたちの僕へのアプローチが素晴らしかった。彼らがとても多くのサポートをしてくれたので、1週間後にはアットホームに感じるようになりました」
―インテルではスナイデルやマンチーニといった人たちと一緒でしたね。彼らもこの地で大きな成果を残しましたが、来る前に彼らの意見を聞きましたか?
「マンチーニ、メロ、スナイデル、アレックス・テレスと話しました。ポドルスキもメッセージをくれました。マンチーニ、メロ、スナイデルと話した際、3人とも僕に『悩むことはない。素晴らしいチームに、素敵な町に行くのだから、オファーを受け入れるべきだ』と言いました。また、アレックス・テレスとポドルスキも僕にメッセージを送ってくれて、ガラタサライはとても大きなチームであり、必ずイスタンブルに行くべきだと言いました」
―ウミト・ダヴァラは、2002年のワールドカップで日本を破るヘディングゴールを決めました。現在はあなたのトレーナーですが、あの試合のことは彼と話しましたか?
「彼と最初に話したのは、彼が日本に決めたゴールのことでした。僕はあの試合を見ていました。あの日のことはとてもよく覚えています…」
―2002年ワールドカップを、日本サッカーが生まれ変わるための重要なターニングポイントと言うことはできますか?
「2002年ワールドカップは、日本サッカーとしての僕たちの出発点でした。チームとしてプレーし始めたということを示すものでした。国としてこの大会ができるという確信を持てました。サッカーにおいて自分を信じるということはとても大切だと思います」
―2000年代初頭、日本サッカーは大スター選手を輩出しました。稲本や中田英寿、小野伸二といったスターたちです。現在も、あなたのほかに本田圭佑や香川真司といった選手がいますが、日本のサッカーは将来さらなる大スターを生むと思いますか?
「過去と比べると、今は有名な選手たちがより多くいます。ヨーロッパリーグには、外国人枠制度ができて以降さらに多くの日本人選手が行くことができるようになっています。イタリアには本田と僕の移籍以降日本人選手がいませんが、ドイツ、スペイン、イギリスでは日本人選手がユニフォームを着ています。今後もより多くの優秀な選手を輩出するだろうと思います」
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翻訳者:金戸 渉
記事ID:44484