Ahmet Hakanコラム:ここまで集まるとは!―アヤソフィア礼拝

2020年07月25日付 Hurriyet 紙
もちろん、長年積み重ねられてきた大きな期待が、大きな興奮の波になると私は考えていたし、ここ最近最もよく言い表される憧憬が現実のものとなり、大きな熱狂となることも想定していました。
言わずもがな、故ネジプ・ファズル氏が大衆に朗詠したアヤソフィアの詩を聞いた人々が、通りへ繰り出すだろうことも疑っていませんでした。
そして当然、群衆が「アヤソフィアでの最初の礼拝」のために、スルタンアフメト広場へと流れていくことも承知していました。
この出来事が壮大な祝祭となるであろうこと、特に公正発展党の支持層は道義心で沸き返るであろうことも、よく分かっていました。
もちろん、感情の爆発が起き、郷愁の嵐が吹きすさび、勝利の気運が高まることも、予想できました。
しかし、しかしながら、そうは言っても…神に誓って、私はここまで人が集まるとは、思ってもみませんでした。

■共和人民党(CHP)のアヤソフィアに対する方針

アヤソフィアに関するCHPの態度は、多かれ少なかれ次のようなものでした。

全面的に反対するわけではないが、すべてに同意するわけでもない。
決して満足はしないが、全くの不満というわけでもない。
明確にマニフェストに掲げたわけではないが、完全に沈黙しているわけではない。

このような態度は何をもたらしたのでしょう?次のような結果です。
アヤソフィアで礼拝に開放されたことに満足する人々すべてが、政府に対して感謝の気持ちでいっぱいであるのに対して、これに満足していない人々は、CHPのこの優柔不断な態度に不満を抱いています。

■他にもありえたアヤソフィアの方針

宗教信仰において分裂があるとき、スカーフ論争が起こるとき、文化的価値観に分断が生じるとき…
つねに公正発展党(AKP)に有利に働いてきたし、今回もそうです。

これがまさに、なぜCHPがアヤソフィヤについて立場を明確にしないよう努めたのかの理由です。
正しかったでしょう。
しかし昨日の時点でよりよく理解できたように、CHPのこの努力は、アヤソフィアについての分断を防ぐに至りませんでした。
なぜならCHPは、アヤソフィアの礼拝への開放を、政権の独壇場にしないようできたはずなのです。

「私たちは不愉快になどまったく思っていません」
「何を困ることがあるでしょう?喜ばしいことです」
「当然、開放時には訪れ、礼拝します」
「歓喜に沸く市民の皆さんと喜びを分かち合いましょう」
こんなことを言うこともできたでしょう。

そうすれば、
アヤソフィアについて起こり得る分断への熱気や興奮、抵抗を壊すことができたかもしれません。
アヤソフィアによって政府が得るだろう加点を共有することができたかもしれません。
右寄りの政策について重要な一歩を踏み出せたかもしれません。
文化的価値観について、既存の出来事以外の現象をもたらしたかもしれません。

CHPはこれらをひとつも達成していない。
場当たり的な対応を選んだのです。
そしてCHPの姿勢はキリストにも、モーセにも利しないものでした。

アタテュルクの言葉です。
「場当たり的な者たちは真の革命家にはなれない。」

■ムハッレム・インジェ氏(CHP党員)の行動の意味は?

彼は式典に招待こそされましたが、政治的儀礼に沿う必要性をまったく認めませんでした。自分の礼拝用敷物を取り、一人スルタンアフメト広場へと赴き、敷物を敷いて、礼拝したのです。

ムハッレムはこの行動によって、文化的価値観に起きた分裂に対し、非常に重要な気付きを与えました。
彼は異なる態度を取ることができるのだと示したのです。少なくとも彼は人々の頭を混乱させることに成功しました。アヤソフィアの件全体を見ればほんの一端での出来事でしたが、右派のマジョリティの心に橋を架けたのです。
CHPを陥った窮地から救うものは、こうした態度に他なりません。

■オルハン・パムクに「偉大なるアタテュルク」と言わしめた輝き

オルハン・パムク氏は、アヤソフィアのモスクへの転換について、ドイツメディアの取材に応じ、次のように言葉を始めました。
「アヤソフィアを博物館に変えたのはトルコ共和国を建国した偉大なるアタテュルクです。」

素晴らしい!
私は生まれて初めてオルハン・パムクの口から「偉大なるアタテュルク」という言葉が出るのを聞きました。
一体何が起きているのでしょう。
やあ、アヤソフィア!あのオルハン・パムクに「偉大なるアタテュルク」と言わせしめた輝きに万歳!

■これはまったく宜しくない、ジュリデ・アテシュさん

ハルク・クルジュ(注)の出演したテレビ番組を見ましたが、そこで興味深い発言がありました。
「左派による虐殺は取り上げられないのに、右派による虐殺は度々議題に上がります」と言ったのです。彼は2人の右派コラムニストの名を挙げました。「彼らも虐殺された新聞記者たちです」と述べ、こう続けました。「誰がこの2人の新聞記者の、コラムニストの名を知っているでしょうか?」
(注)ハルク・クルジュ。1978年アンカラでのトルコ労働党員殺人の罪により死刑判決を受ける。恩赦により釈放されたが、現在に至るまで再収監、再釈放が繰り返されている。

ハルク・クルジュ氏のこの指摘は何も間違っていません。むしろ正しいでしょう。

クルジュのケースにおける主な間違いは、次のことにあります。
ある虐殺に名を連ねる人物に対して、テレビ番組で虐殺について説明させること。彼に「ええ。我々は虐殺をしましたよ。しかし問題はなぜ我々がそんなことをしたのかということです」などと述べる機会を与えたこと。ある虐殺が、ほかの虐殺によって免罪される土壌が形成されてしまうこと。

ですから、最も大きな間違いは、ハルク・クルジュ氏を出演させたジュリデ・アテシュ氏と彼女のテレビ番組にあるのです。

■リッキーとラップ

CHPのデニズ・バイカル元党首は、リッキー・マーティンの音楽をかけて党大会に出場したことがあります。
この大会の後、CHPは選挙で議席獲得に必要な最低得票率を下回りました。

これが、ケマル・クルチダルオール現党首がラップミュージックで議会に参加するのを知り、私が「おお、神よ」と言ってしまう理由です。


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翻訳者:木内唯理
記事ID:49617