■チャドのシンボルとなった牛乳売りの美しい少女…貧困のうちに亡くなる
【ムハンマド・ジッディー・ハサン:本紙】
聴衆がぶつぶつ言っているところを眺めながら、彼は叫んだ。
「アンタらのなかにキッローを知っている者はおるか?」
ほぼ毎朝彼女の写真を見、彼女の描かれた書類にサインしている政府高官らは、禿頭の望みに叶う答えを何にも言えなかった。
共和国で最も有名の女性のことを誰一人として知らなかったのだ!!!
下級官僚らはこの尋問に悩まされた。彼らから少し離れたところで失業者のだれかがそわそわしながら、皆を困惑させている禿頭の男性が去ったあとに彼女について教えてあげようと思索をめぐらした。
1960年、チャド共和国はアフリカのほとんどの(元)フランス植民地と同様、独立を果たしたばかりであった。同国の独立はンガルタ・トンバルバイと呼ばれる若い教師が主導し、フランス人らはヨーロッパの価値観に基づいた彼の共和国樹立を急いで支援した。彼らは初代大統領に一連の写真を提示し、国の象徴となる肖像を一つ選ぶよう求めた。そこで選ばれたのがキッロー・バット・アッ=ダキールだ。
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