歴史的文書によれば、ガディールの出来事[※シーア派信徒の間では632年、預言者ムハンマドがアリーを自身の後継者として指名したとされるが、その出来事を指す。「ガディール」は「ガディール・フンム」のことで、この出来事のあった場所の名]において、預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)による、イマーム・アリー(彼の上に平安あれ)の統治発表を聞き、彼に忠誠を誓った真正な目撃者の一人にザフラー様[※ムハンマドの娘でシーア派初代イマーム・アリーの妻ファーティマのこと。シーア派第2代イマームのハサン、第3代イマームのフサインの母であり、預言者の直系の血統を伝えた女性として、特にシーア派信徒の間で重視されている](彼女の上に平安あれ)がいる。
【ハムシャフリー電子版】タスニーム通信によると、ザフラー様(彼女の上に平安あれ)の生涯に関する、とある不明点はガディール・フンムに由来する出来事に関係している。私たちは、ガディールの出来事がイスラーム共同体の運命を決めたことを知っている。歴史的証拠に基づくと、ザフラー様(彼女の上に平安あれ)とイマーム・ハサン、イマーム・フサイン(彼らの上に平安あれ)も(ムハンマドの)別離の巡礼[最後の巡礼]に同行していた[※ムハンマドは彼の最後の巡礼から帰る途中で、ガディールの水場においてアリーを後継者に指名したとされる]。
実際、預言者(彼と彼の一族の上に神の祝福あれ)は、別離の巡礼として知られるようになった、その偉大なる生涯最後の年の巡礼[※シーア派・十二イマーム派の十行の一つ]の勤めを果たすべく出発すると決めたとき、自身の妻たち、さらにザフラー(彼女の上に平安あれ)とイマーム・ハサン、イマーム・フサイン(彼らの上に平安あれ)を伴った。
[※関連記事のリンク]ファダク奪還[※ファダクとは、ムハンマドの死後(スンナ派から見た)初代カリフとなったアブー・バクルと対立したザフラー様が彼から取り返した村]に関するザフラー様の目的は何であったのか?
アミール・アル=ムウミニーン[信徒たちの長]・イマーム・アリー様(彼の上に平安あれ)はこの4か月前から、預言者(彼と彼の一族の上に神の祝福あれ)から任されていたイエメンで職務に当たっていた。預言者(彼と彼の一族の上に神の祝福あれ)は前もって彼に手紙を書き、以下のように命じていた。「私は巡礼を行うつもりだ。メッカで我々に合流せよ」
アリー様(彼の上に平安あれ)はこの指令を受け、イエメンからメッカに向かって出発し、預言者も多くの弟子や妻たちを引き連れ、ザフラー様(彼女の上に平安あれ)と[イマーム・ハサン、]イマーム・フサイン(彼らの上に平安あれ)とともにメディナを発った。
メッカの市外において、アミール・アル=ムウミニーン[アリー]様(彼の上に平安あれ)は預言者(彼と彼の一族の上に神の祝福あれ)の面前で祝福を受け、巡礼も預言者とともに行った。ゆえにザフラー様(彼女の上に平安あれ)とイマーム・ハサン、イマーム・フサイン(彼らの上に平安あれ)も預言者の別離の巡礼およびアミール・アル=ムウミニーン[アリー]様(彼の上に平安あれ)の統治が発表されたガディールの偉大なる出来事に立ち会ったのだ。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
翻訳者:TM
記事ID:50634