アスガル・ファルハーディー監督の映画『ヒーロー』の記者会見がカンヌ映画祭にて行われ、同監督は、米『バラエティ』誌に自身の発言として掲載されたものは、同誌の不適切な翻訳によるものだとした。
【ハムシャフリー電子版】メフル通信によると、ファルハーディー監督は映画『ヒーロー』の記者会見で、米『バラエティ』誌に自身の発言として掲載されたイランの抑圧に関する文章について、「『バラエティ』誌のインタビューを尊重しますが、当該の発言は、昨日私の話を聞いて翻訳した記者の想像であったと言わざるを得ません。私たちは、恐らくヨーロッパには存在しないであろう事柄について話しました。しかしイランには存在するのです。」と説明した。
「イラン国外の人々は、イランにはサイバー空間がないと思っているので、私にインタビューをした人はサイバー空間の存在に驚きました。私が『もちろんありますよ。その存在は、欧米よりも色濃く際立っていさえするかもしれません。』と言うと、なぜかと尋ねてきました。私は言いました、閉鎖的で自由に発言できる状況にないからだと。だから、人々は意見表明のためにサイバー空間を利用するのだと。自由に意見を述べることのできる国では、サイバー空間はあまり利用されません。」
同氏は、自身の映画製作に関するアプローチと、厳しい意見を述べたり声明を出したりする状況を自身が避けていることに言及し、「初めて18歳以下の死刑について議論された時、『美しい都市』[*訳注参照]はこの問題に関して滞りなく製作されたと思える最初の映画でした。その当時はこの問題について、『美しい都市』ではなく先鋭的な指摘をするべきだったのではないかと思っていました。しかし、依然として人々は『美しい都市』を観ており、未だに、なぜこういった者達は14歳で殺人を犯すのかという疑問が存在しています。もし私がこの映画を製作しておらず、代わりにその時期に何かしら見解を出していたとしても、おそらく良い指摘にはなっていなかったでしょう。なぜなら、意見を書いたり記事を書いたりするのは私のやり方ではないからです。私のストーリーをもってこの意見を伝え、なぜこういったことが起こるのかという疑問を提起するのが良いと思います。私の意見としては、このやり方がより効果的でしょう。」と説明した。
*訳注:イラン暦1382年[西暦2003年]に制作されたファルハーディー監督による2作目の長編映画で、少年による殺人を扱っている。
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翻訳者:SK
記事ID:51397