今日世界中で文学を発信するアフリカの作家たち(3)
2021年06月26日付 Hamshahri 紙
——「翻訳の世界では、原語から翻訳することは極めて重要です。ガブラーイーさんが翻訳される以前からも、多くの翻訳家が原語からの翻訳をしてきましたし、今でもしています。この伝統は依然として続いていますね。今日の翻訳の世界において、原語から翻訳することにはどの程度の重要性があるのでしょうか?」
ガブラーイー氏:もし一部の翻訳家を怒らせないような口調で述べようとするのならば、原語からの翻訳は時々糊塗されています。媒介言語を用いた重訳には、その一端に言及するだけでも満足するような綿密な議論が求められます。媒介言語を用いて出版された翻訳は往々にしてあります。私はいつもヤニス・リッツォス『イーリアスとオデュッセイア』を例に取っています。もしサイード・ナフィースィー氏【訳注:1895-1966イランを代表する文学研究者、翻訳家、作家、詩人。スイスに留学後パリ大学に進学。テヘラン大学、カーブル大学、サンノゼ州立大学で教鞭を取る。】が『イーリアスとオデュッセイア』を【フランス語からの重訳で】翻訳していなかったとしたら、私たちは今日に至るまでそれを読むことができないままだったのです。心の中で「媒介言語からの重訳では少々物足りなくなってしまう」と言う読者がいるかもしれません。しかしながら今日に至るまで、誰もこれほどの文学作品群に手を付けていません。というのも、ギリシャ語において一流の翻訳家がいないからだと私は推測しております。残念ながらイラン暦1390年[訳注:西暦2012年]に、ギリシャ語翻訳家であったフェリドゥーン・ファルヤード氏が逝去されました。何年も前にイランで、私は同氏に「長年ギリシャに住まわれ、ヤニス・リッツォス【訳注:1909-1990ギリシャ出身の詩人。ノーベル文学賞に何度かノミネートされた】の友人でもあるあなたに、同氏の作品を翻訳していただきたいのです。私たちも同様にイランでできることは何でもお手伝いいたします。」と申し上げました。しかしながら残念なことに、ファルヤード氏は逝去され、現在に至るまで誰一人としてヤニス・リッツォスの作品をギリシャ語からペルシア語に翻訳していないのです。ポルトガル語についても同様に、傑出した翻訳家がいないのです。ポルトガル語翻訳家が全く居ないのですから、さらに傑出した翻訳家など、贈物同然ですよ!と、より声高に言っておかなければなりません。そして翻訳家である私と読者であるみなさんは、ポルトガル語翻訳家が現れるまで手をこまねいて待っていなければならないのでしょうか?優れた翻訳家が居るドイツ語については、今日に至るまで誰一人としてライナー・マリア・リルケ【訳注:1875-1926 プラハ生まれ、オーストリアの詩人、作家】が書いた小説『マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記』【訳注:『マルテの手記』として邦訳多数あり。(大山定一訳、新潮文庫、1953、改版2001、望月市恵訳、岩波文庫、1953、改訳1973、最新版では(松永美穂訳、光文社古典新訳文庫、2014)】という難解な原文に手を付けていません。私は媒介言語【英語】からその小説を翻訳しておりますが、その翻訳にも自信があります。アブドゥッラー・コウサリー【訳注:1949- ハマダン出身の編集者、翻訳家、詩人。シャヒードベヘシュティ大学で経済学を学び、兵役後にイギリスに留学。経済学とラテンアメリカ文学の翻訳における第一人者】は、マリオ・バルガス・リョサ【訳注:1936- ペルー出身の小説家、ジャーナリスト、エッセイスト。2010年ノーベル文学賞受賞。邦訳多数。『緑の家』木村榮一訳、新潮社、1981→改訳版:新潮文庫、1995年→岩波文庫(上下)2010)、『都会と犬ども』(杉山晃訳、新潮社、1987、新版2010)、『フリアとシナリオライター』(野谷文昭訳、国書刊行会、2004年、キアヌ・リーブス主演「ラジオタウンで恋をして」として映画化(1990))】とカルロス・フエンテス【訳注:1928-2012メキシコ出身の作家。1950年、60年代のラテンアメリカ文学のブームを牽引する存在。邦訳多数『私が愛したグリンゴ』(安藤哲行訳、集英社、1990)、『老いぼれグリンゴ』(安藤哲行訳 集英社文庫、1994)、『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅱ-08 老いぼれグリンゴ』(河出書房新社、2008)、『テラ・ノストラ』(本田誠二訳、水声社、2016)など】の作品を私たちに紹介してくれました。その全てが媒介言語からペルシア語に重訳されたものですが、それらが適切な翻訳であることは明らかです。つまり、今日原語からの翻訳はそれほど普通のことではないのです。もしコウサリー氏のような円熟さと腕前を持つポルトガル語翻訳家が現れれば、私は自らポルトガル語から(英訳された)翻訳作品に手を付けるのをやめるつもりです。しかしながらこの分野は依然として空席のままであり、輝きを放つ作品をたくさん翻訳するためには、媒介言語から翻訳する以外に道がないのです。ご質問に対して私が言わんとすることは、この簡単な解説によって可能な限り明瞭なものになっていると思います。
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翻訳者:IO
記事ID:51499