■バルキース・シャラーラと記憶のかばん:イラク人の食とリフアト・チャーディルジーの香りについて
【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
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しかし、この際の出版拒否は、バルキースの本が食の分野におけるアラビア語の数少ない重要文献のひとつになることを妨げなかった。ただその一方で、この経験は彼女の今後の執筆構想に悪影響を与え、伝記の類に関しては殊更であった。
〇自伝作家バルキース
この研究者の一連の著作の読者であれば、彼女が執筆を始めたのは約60歳と少し遅く、姉のハヤーの自死がきっかけだったことが分かるだろう。「生」という意味の名をもつ人が自殺するというのはなんとも皮肉なことだが、90年代末の制裁下のイラクの状況は悲惨なものだった。そのためハヤーは、まだ若かった娘のマハーが自ら命を絶った数分後にその後を追うことを決意したのである。バルキースは姉を失った悲しみに暮れるものの、その後、『日が暮れれば』という題の姉の小説原稿を見つける。夫の仕事と長い年月を共にしてきたバルキースは、この時から執筆に挑戦することを決意し、姉の小説の、最終的には約80ページにも及んだ前書き部を書くことに時間を割くようになった。この小説を発表すれば、喪失感と悲しみだけでなく、姉妹が互いに疎遠に過ごした日々に対する罪悪感が、少しでも癒えるのではないかと考えたのだ。
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