■バルキース・シャラーラと記憶のかばん:イラク人の食とリフアト・チャーディルジーの香りについて
【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
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〇リフアトのかばん
バルキースの表現によれば、記憶とはいくつものかばんである。それゆえ彼女は自伝の中では、夫のリフアトとの思い出のかばんをひとつひとつ開いていくことに専心した。リフアトは国外で最も有名なイラク人建築家のひとりである。バルキースの記憶に残る数々のエピソードのうち、のちに彼らが国を出るきっかけとなった、リフアトの髪にまつわるエピソードがある。1970年代、サーリフ・マフディー・アンマーシュ副大統領は、それらがイラクの文化に反するという考えから、ミニスカートと男性の長髪を禁止した。このことは当時、国家が個人の自由に関わる問題によりあからさまに干渉し始めたとして、危うい傾向とみなされていた。リフアトの髪は長髪であったため、彼の元にはジャワード・ハーシム計画大臣が派遣され、髪を切るように求めてきた。リフアトが拒否したにもかかわらず、リフアトと政府の間の緊張状態は止まなかった。その後リフアトはイラクを離れてアメリカ合衆国へ渡ることを決意し、そこでは建築哲学について書籍を執筆し講義を行うことに一層専念した。晩年まで精力的であり続けたリフアト・チャーディルジーは、コロナウイルスに感染し、2020年4月10日にこの世を去った。しかし、彼の伝記はここでは終わらなかった。
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