カラギョズ師メティン・オズレン氏、死去

2022年05月05日付 Hurriyet 紙

カラギョズ師のメティン・オズレン氏が治療を受けていたウムラニエ教育・研究病院で亡くなった。82歳だった。

オズレン氏の訃報は、昨晩ファーレッティン・コジャ保健大臣がソーシャルメディアアカウントの投稿で発表した。コジャ大臣は、投稿で以下のように述べた。「カラギョズ師のメティン・オズレン氏が集中治療を受けていたウムラニエ教育・研究病院で82歳でお亡くなりになりました。夢を与える(カラギョズの)カーテンからあの世へと旅立ちました。オズレン氏に対してご冥福をお祈りするとともに、彼の訃報に際し、悲しんでいる方々へお悔やみ申し上げます。」

■フェレクシズの作者であった

メティン・オズレン氏は1940年4月3日にイスタンブルのカルンジャで生まれた。カラギョズ制作の技術は、幼少期に祖父であるハヤリさんから聞いた物語を通して学び、上達させた。初めての描写は厚紙で行った。16歳の時からラクダと牛の皮を使い始めた。絵の制作では、ネブレカンと名付けられたナイフを使った制作技術を発展させ、伝統的なスタイルで無数のフィギュアを作った。1962年には、イスタンブルで刊行されていたエクスプレス紙の漫画家兼イラストレーターとして働き始めた。漫画の主人公として、オリジナルキャラクターのフェレクシズを毎日、国民的キャラクターであるナスレッディン・ホジャを毎週描いていた。1967年までアマチュアとして働いていたオズレン氏は、同年、文化省が主催した「第1回全国カラギョズ大会」において13人の芸術家の中から、トルコのトップとなり、プロの芸術家人生の道を歩き始めた。伝統が途絶えかけていた「フェルハトとシリン」「レイラとメジュヌン」といった作品を再びカラギョズのカーテンへと運んだ。オズレン氏は存在する、もしくは存在するが忘れ去られていた多くの作品を再解釈し、生き返らせていたのだ。


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翻訳者:大畠梨紗子
記事ID:53396