イスタンブル小農園公園で春の祭典

2022年05月09日付 Cumhuriyet 紙
5年後にイスタンブルを再訪したバルカン音楽の人気音楽家ゴラン・ブレゴビッチとアナトリア・ロックグループのババズーラは、観客を興奮させた。厳しい北東風(ポイラーズ)にもかかわらず、BBQで作られた屋台の食事でピクニックを行い、ビールを飲みながら楽しんでいる人々は、祭典を味わった。

春の祭典は、バルカン音楽のノリの良い楽曲によって春のつぼみのように祝宴に様変わりし、盛り上がった、[イスタンブルのハルビイェにある]小農園公園で。ババズーラからゴラン・ブレゴビッチへと生演奏に飽き足りない人々はDJシャンテルの楽曲で盛り上がった。その前はアフールカプ・ビュユク・ロマン・オーケストラであった。このグループの創設を私は覚えている。コロナ禍前、フドゥレルレズ祝日はアフールカプにあるアルマダホテルの駐車場及びその周辺地区で地元の音楽家によって祝われていた。願いはバラの枝に吊るされ、すぐにマルマラ海に置かれた。アフールカプ地区住民のロマで構成される同グループは、ノリの良いメロディーで人々の気分を盛り上げた。コロナ禍で他のイベントと同様に、人々が集っての音楽は中断していた。ウィルスがどれほど降参したかわからないが、人々はもうずっと前から孤独と人々と交わり合えないことに降参していた。最初の機会を心から楽しんだ。

■公園で祭り

小農園公園で土曜日に開催された春の祭典は、強く吹き荒れる北東風に関わらず日曜の朝食後に混み始めた。私たちが行った時にはグループごとに集まった様々な年齢の若者たちがすでに音楽とダンスのリズムに乗っていた。ババズーラによって十分に活発となり、混んでいた公園は、集団の変化で隙間を埋めたアルナブトキョイの盲目の打楽器奏者によっても盛り上がっていた。DJシャンタルが登場すると、とても盛り上がった。特にシャンタルは、「この舞台は私一人だと大きすぎる。皆もここにきてダンスをしよう。」と言うと人々は次々に舞台に上がった。

しかし真の興奮は、2017年以降私たちが待ち焦がれていた、バルカン音楽と言えば最初に頭に浮かぶ人物であるゴラン・ブレゴビッチと彼のグループが舞台に上がると、頂点に達した。広大な公園がびっしりと埋め尽くされ、舞台の前に人々は殺到した。ゴランのバンドの民族衣装を着た二人の女性ボーカルは、とても愛嬌があり丸々とした中年女性であり、彼女たちの声はどれほど強烈か。ブレゴビッチのグループは、より多くの吹奏楽者で構成されており、大小のサックス奏者は素晴らしい。太鼓の復帰は当惑させたのか。しかし、この音楽で打楽器の影響はとても大きい。いずれにせよ、舞台をいっぱいにした数多くの人々は聞き知っている楽曲で盛り上がる一方、曲とは関係なく皆がビー玉の様に飛び跳ねていた。ゴランも、ここに来た他の音楽家の同様に、何年も後にイスタンブルに再訪して幸せだった。イスタンブルの観客は熱く、抱擁を愛し、拍手をし、ほおっておかない。舞台に集まった何千人もの人は、何時間も立って、何時間も寒い中待ち、何時間もダンスして疲れたとしても、まるで少し前に来たかのように精力的にダンスする。「ベラ・チャオ」と「カラシニコフ」の曲によって上がった人々の叫び声は、テシュヴィキイェまで届き、祭典はまたこのようにして終わった。私たちは家までどのように戻り、どのように足を運んだのか覚えていない。一杯50リラのビールを何杯消費し、祭典で誰が何を手に入れたかはわからない。しかし、素晴らしかった。ごみをその場に捨てず、押し合いへし合いがなければもっと素晴らしかっただろうに。こんなことは繰り返さないでほしい。私たちの生活には100%音楽が必要だ。


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翻訳者:新井慧
記事ID:53419