ダッチャのオスマン時代のモスク、劣悪修復?

2022年06月11日付 Milliyet 紙

ムーラ県ダッチャ郡郊外のジュマル街区にある、広域市当局によって修復が行われた2世紀前のモスクで、漆喰上に瓦の破片を接着し、壁を白く塗装したことに反発が起こった。ムーラ広域市当局がこの件に関して行った発表では、修復は承認済の計画に沿って行われたと述べられ、「モスクの修復実施において既存の漆喰層が保存できないほど劣化していたため、漆喰を剥がし既存の壁の補強が実施された。」と述べられた。

ムーラ広域市のオスマン・ギュリュン市長は6月10日にTwitterアカウントから、およそ2世紀の歴史を持つチェシメキョイモスクの新旧の写真とともに「ダッチャのジュマル街区の歴史的なチェシメキョイモスクの修復活動が完了した。我々の文化遺産を守り、未来の世代に受け継いでいく。」とコメントを投稿した。活動で漆喰上に瓦の破片を接着し、白く塗装したようにみえるモスクの修復に対して反発が起きた。

地域住民はモスクの修復活動は2016年に開始したが約5年前に終了したと強調し、モスクがその日以降放置された状態だったと話した。ダッチャで暮らすアリ・イフサン・オズリュさん(72歳)はモスクは1920年代まで使われていたと語り、その歴史において地域随一のモスクだと話した。オズリュさんは「ダッチャ半島西側のベトチェ地域に同時代のモスクはほかにありません。礼拝はここで行われていたようです。私は72歳ですが、このモスクで礼拝したか思い出せません。新しいモスクで礼拝しますから、ここは打ち捨てられたのでしょう。このモスクは修復されましたが放置されました。しかし見た目はすごく劣悪で、本当に悲しかったです。この漆喰の下は石材です。これを削って、石材のまま残した方がもっと良かったでしょう。オリジナリティや歴史をまもれたはずです。漆喰上に瓦の破片を接着したようですが、こんな恥辱はあり得ません。これは誰がこんなことをやったのでしょうか?誰が助言をしたのでしょうか?なぜもともとの石材を残さなかったのでしょうか?本当に残念です。この見た目も全くよくなく、ただ塗装しただけです。しかしこの歴史的なモスクは台無しになってしまいました。」と述べた。

ジュマル街区のムフタル・セミ・チュカダルさんは2016年に開始した修復活動は2017年に終了したと述べた。チュカダルさんはモスクはその日以降もぬけの殻だったと述べ、「今は電気が引かれることを期待している。」と話した。

■広域市当局「修復計画に沿って修復された」

ムーラ県広域市当局が行った発表では「モスクの修復実施において既存の漆喰層が保存できないほど劣化していたため、漆喰を剥がし既存の壁の補強が実施された。クニドス古代都市の道路上にある建築の石壁にはしばしばスポリア石材を使用されること、また石壁に特定の並べ方が見られないことは、建物が本来は漆喰で塗装されていた証拠である。修復におけるタ瓦を圧着し漆喰を塗装する方法はダッチャ半島郊外の建築で頻繁にみられ、登録済みの建築の正面壁においても部分的に見られる可能性があった。このため瓦の圧着と漆喰塗装が建物の本来の状態にふさわしいとして、本来の適した材料と技術で実施された。建物の全ての修復作業はその承認済みの修復計画に沿い、修復原則と法令に準拠して完了した。」と述べられた。

発表では件のモスクについて保存委員会が承認した修復計画にしたがって修復作業を完了し、修復の過程と結果についての情報と文書が保存委員会に提出されており、修復は適切だったと主張された。

■受賞していた

発表ではまた、チェシメキョイモスク修復計画が歴史的都市協会が毎年行っているプロモーション大会でミラス郡のプナルキョイモスクとボズユク郡ジェミル・トクソズ邸とともに2015年計画部門成功賞を受賞していたと述べられた。


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翻訳者:伊藤梓子
記事ID:53576