エジプト:『マムルークたちのカイロ』…マムルーク朝時代の建築を振り返る(5)
2023年01月24日付 Al-Ahram 紙
■『マムルークたちのカイロ』…マムルーク朝時代の芸術的遺産を追う旅:ブックフェア特集
【ムスタファー・ターヒル】
カイロはこの統治時代(ヒジュラ歴648年~923年、西暦1250年~1517年)に、もっとも重要かつイスラーム世界における最大の都市となった。カイロはあらゆる種類の建築物をかつてない数建てたマムルーク朝スルタンの下で繁栄し、この時代の建築物は芸術的・建築的な装飾に対する創造性においてピークに到達した。
オスマン帝国の登場によって、状況は変化した。オスマン帝国は地域でも力のある勢力となり、3世紀にわたってエジプトを統治した。しかし、1517年にセリム1世がエジプトに入城してから、19世紀初頭にオスマン帝国の統治が終わりを告げるまでマムルーク朝時代の建築物は依然として存在し続けた。なおこの期間には、エジプト全土を統治したムハンマド・アリー・パシャ(西暦1805年~1848年) によるマムルークたちの恒久的な排除と彼らの建造物の排斥という段階が含まれる。ムハンマド・アリー朝の統治は、1811年、城内における虐殺によってマムルーク一派を恒久的に排除することによって始まった。
その後エジプトのイスラーム建築におけるマムルーク式の地位はオスマン・トルコ様式にとって代わられるかたちで低下し、同時にヨーロッパではオリエンタリズムとアラブ・イスラーム芸術に関する研究が興隆した。
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翻訳者:佐々木舞香
記事ID:54903