ベンヤミン・ネタニヤフ急進派内閣は、シオニスト[イスラエル人]入植者のためにヨルダン川西岸の新たな地域を占領しようとしている。
【本紙−バハーレ・モヘッビー】シオニスト体制の内閣で最も極右的な内閣が発足して僅か数週間しか経過していない一方、挑発的で反パレスチナ的な行動がベンヤミン・ネタニヤフ指導の下で日ごと激しさを増している。最新の事象で言えば、ネタニヤフ内閣がヨルダン川西岸にある同氏が言うところの「敵の属地」をシオニストの入植者に引き渡すつもりだと発表した。
ヨルダン川西岸の様々な都市に対するイスラエル軍の攻撃や同地域の各地でのパレスチナ人の殉教[死]についてほぼ毎日のように報道される一方、ウェブサイト「ニューアラブ」の報道によれば、ネタニヤフ政権が「パレスチナ領土におけるイスラエル戦争省活動調整機構(COGAT)[イスラエル占領地政府活動調整官組織]という名の管理機関が現在違法に権限下に置いている土地を、シオニスト体制[イスラエル]発足[建国]以前に同地で不法居住していたユダヤ人入植者に引き渡すつもりであると約束した。同地は、国際的な反対にもかかわらず現在占領地で進められている入植プロジェクトの拡大に使用されることになっている。
シオニスト体制は1967年の6日間戦争[イスラエルとアラブ諸国連合の間での第三次中東戦争]の後、ヨルダン川西岸地区および東エルサレム地区を違法に占領している。それ以来、数十万人のイスラエル人をパレスチナ占領地に定住させるべく、数十の入植地が建設されている。この措置を国連や国際社会は違法と見做している。
ここ数年シオニスト体制は、1948年以前にはユダヤ人の属地であったという主張のもとパレスチナ人を東エルサレムの家から立ち退かせている。ほとんどのパレスチナ人が土地や家屋の所有権に関する法的文書を持っているにもかかわらずだ。
またシオニスト体制創設中の1948年のいわゆる「ナクバ[大災厄]の日[5月15日]」には、何十万人ものパレスチナ人が強制的に自分たちの家や土地から退去させられた。シオニスト裁判所はまた、「不在者財産」法を根拠にパレスチナ人が自分たちの家に戻ることを許可しなかった。不在者財産法と称する法律に基づいてシオニスト体制の裁判所は政府に対し、不在者財産と見なされるパレスチナ人の財産を押収することを許可している。ニューアラブの報道によれば、ネタニヤフ政権の計画に基づきベツレヘム周辺及びエルサレム北部の地域は入植者の再定住のために使用される見通しだ。またヘブロン市周辺地域は深刻な占領の危機に晒されている。というのも、イスラエルが新たなシオニスト入植者地区をヨルダン川西岸で二番目に大きな都市の中心部に建設しようと考えているからだ。これらの計画は、最近シオニスト体制新政権の承認を得たばかりである。
同報道によれば、占領の危機に晒されている土地のほとんどはヨルダン川西岸「B」地区、すなわち大抵の組織や行政機関がパレスチナ人の管理下にある一方で、軍事面ではイスラエル軍の監視下に置かれている地域に位置している。1993年に行われた「オスロ合意」に基づく分割においてヨルダン川西岸の僅か20%を占める「A」地区は、政治および治安の面でパレスチナ自治政府が完全に支配している地区である。もちろんこの地域においてさえ、パレスチナの側に軍隊を配備する権利は無い。「B」地区もヨルダン川西岸の面積のおよそ20%を占めている。この地区は政治的側面ではパレスチナの支配下にあるが、治安管理はイスラエルの支配下で実施されている。ヨルダンの支配下にあった1948年から1967年にかけてこの土地は国有化され、以来パレスチナの企業や家庭に貸与されている。
ヨルダン川西岸の併合計画は、「ユダヤの力」党党首でネタニヤフ過激派内閣の国家安全保障相を務めるイタマル・ベン・グヴィル氏の最も重要な選挙公約の一つであった。同氏は公然とヨルダン川西岸の軍事占領を要求してきた人物である。この計画は、ヨルダン川西岸のイスラエル人入植地をイスラエル当局が占領している土地に正式に併合することを目指すものだ。ガーディアン紙はネタニヤフ連立政権における過激派の比重の重さに言及しつつ、次のように記した。「ネタニヤフ連立政権はヨルダン川西岸の一部地域の占領を目指していると公言している。一方でパレスチナ人は何年も同地域の建設を目指してきた。このところテルアビブの過激派の行動により、多くの人々は、ネタニヤフが彼らをコントロールするのに十分な力を有しているのかどうか、あるいはそもそも彼らをコントロールしようとしているのか否かと考えるようになっている。」
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翻訳者:OK
記事ID:54950