2月6日に発生した、カフラマンマラシュを震源とするマグニチュード7.7と7.6の地震はトルコを深い悲しみに陥れた。発生当初から被災地で集中的な救助活動が行われる一方で、地震災害の12日目にも奇跡的な救出劇が起きた。
災害緊急事態対策庁(AFAD)は2月6日4時17分、カフラマンマラシュ・パザールヂュクにおいてM7.7の地震が発生したと知らせた。同日エルビスタンで13時24分にM7.6の第二の大きな地震が発生した。地震は10の県で突発的に激しく感じられたと発表された。
捜索救助活動が続く地域から、奇跡的な知らせが届き続けている。248時間後に瓦礫の下から無事救出されたアレイナさん、258時間目に重機の操縦者が気づいて救出されたネスリハンさん、260時間後に瓦礫の中から無事救出されたオスマンさん、そして261時間後に救出されたムスタファさんとメフメトさん…。瓦礫の下から無事に救出された彼らの名前は、トルコにも希望をもたらした。
■17歳のアレイナが248時間後に救出
カフラマンマラシュで発生した地震により、カヤバシュ地区のアタベイ・アパートは倒壊した。捜索救助隊は、同建物の瓦礫の下に生存者のサインを確認した。救助活動の結果、地震から248時間後にアレイナ・オルメズさんが瓦礫の下から無事救出された。アレイナさんはストレッチャーに乗せられ瓦礫のある場所から救急車まで運ばれる際、大きな喜びが生じた。アレイナさんは、病院に搬送され治療を受けた。瓦礫のそばで待っていたアレイナさんの姉妹の夫は、捜索救助隊員と抱き合って感謝した。
■「経過観察が夜通し行われ、問題はなかった」
アンカラ大学のネヂデト・ウヌバル学長は、カフラマンマラシュで地震発生248時間目に救出されたアレイナ・オルメズさんの健康状態について公表し、アレイナさんの経過観察が夜通し行われたと明かしつつ、「問題は一つもなかった。朝、骨盤に一つ問題があり、軽い手術を行った。タヌル・ケンディルリ院長が彼女の容体について、朝方の手術に関しては整形外科のマハムト・カレム医師が報告する」と述べた。
■「一晩中意識があった」
アンカラ大学ジェベジ研究応用病院の院長タヌル・ケンディルリ教授は、アレイナ・オルメズさんの最初の検査で容体が良かったと明かしつつ、「その後の検査では骨盤に損傷が見つかった。夜の検診でも、翌朝手術を行うことが適切であると判断した。一晩中意識があった。夜には、口から食事を摂り、水を飲むようになると思う。今のところ容体は良い」と話した。
■「今の容体は良い」
アンカラ大学医学部整形・外傷学科の医師マハムト・カレム准教授は、アレイナさんが昨日になって骨盤に損傷が見つかったことに触れ、「手足には小さな擦り傷以外に怪我はなかった。今朝手術を行った。先ほど目覚めて、今は容体が良く、タヌル医師が経過を見ている。近いうちに歩けるものと予想している」と述べた。
■重機操縦者の気付きでネスリハンを救出
カフラマンマラシュ・シャジベイ地区のイサ・ユスフ・アルプテキン大通りにあり、今日までに最も多くの死者を出したエブラル集合住宅地のZブロックでは、地震発生から258時間後に新たな奇跡が起きた。重機を操縦していたアドナン・エシンさんは、瓦礫撤去作業を行っていた際、取り除いたベッドの下で誰かの手が動いているのに気づき、捜索救助隊に知らせた。直ちに現場に向かった捜索救助隊は、ネスリハン・クルチュさんのもとにたどり着いた。救助活動により地震から258時間後に瓦礫の中から救出された。ネスリハン・クルチュさんは被災地での応急処置の後に救急車でカフラマンマラシュ・ストチュ・イマーム大学医学部病院に搬送され、治療を受けた。
瓦礫の中でネスリハン・クルチュさんに気付いたショベルカーの操縦者アドナン・エシンさんは、「私たちがそこで活動していた時、ひとつの空洞に当たりました。そこを探っていた時、寝室のような場所に到達しました。ベッドをどかすとすぐに、誰かが手を動かしました。その後さらに2本の手が動きました。私は作業を止め、重機から降りました。そこへ行き、生きているのを確認しました。すぐにAFADチームに知らせました。彼女は私と一切話しませんでした。そのときは顔は見えませんでした」と話した。
■260時間後に訪れた奇跡の名:オスマン
ハタイ・アンタキヤ郡のエキンジ地区で、さらにひとつの奇跡が起きた。警察捜索救助(PAK)チームに属する嗅覚探知犬が、倒壊したブケット・アパートの瓦礫に反応した。続いてチームの呼びかけに答えたことを受け、直ちに捜索救助活動が開始された。
警察捜索救助と臨時教育調査援助・捜索救助協会(ANDA)も参加する合同チームは、瓦礫の下に取り残されていると分かったオスマンという名の12歳の子供を、(地震から)260時間後に無事に救出した。
瓦礫の中から救出されたのちに応急処置を受けたオスマンさんは、ハタイ・ムスタファ・ケマル大学病院に搬送され、治療を受けた。
■ムスタファ、メフメトを261時間後に無事救出
世紀の大災害が崩壊をもたらした郡の一つであるアンタキヤ郡オダバシュ地区にあるアカデミー病院の瓦礫の中で続けられている活動で、チームは2人の生存を確認した。救助活動の結果、地震から261時間後に同時に2つの奇跡が起こった。
病院の瓦礫の中で生存が確認された2人のために続けられた活動の結果、捜索救助隊はムスタファ・アヴヂュさんとメフメト・アリ・シャキロールさんのもとにたどり着いた。時間との闘いに挑んだチームは、シャキロールさんとアヴヂュさんを災害から261時間後に見事無事に救出した。負傷し、ひどく疲弊している被災者らは、捜索救助隊が開いた通り道から救急車のところへ連れられ、周囲の人々はこの幸運を拍手で分かち合った。
■コジャ大臣がムスタファの写真を共有
保健相ファフレッティン・コジャは、ハタイで地震から261時間後にアカデミー病院の瓦礫の中から救助されたムスタファ・アヴヂュさんの近親者と電話で話した際の写真を共有した。
コジャ大臣はTwitter上で、ハタイのある私立病院の瓦礫の中から261時間後に救出されたムスタファ・アヴヂュさんの近親者と電話で話した際の写真を共有した。コジャ大臣は投稿の中で、「ハタイで瓦礫の下から261時間後に今夜救出されたムスタファは、医療処置ののちにまず、電話番号を覚えていた親戚に連絡した。我々のきょうだいムスタファが、これほど良い状態であるのを見て非常に喜ばしく思う」と述べた。
■228時間後に救出!女性1人と3人の子供
地震から10日目に、アンタキヤで倒壊したウウル・アパートの瓦礫のもとで活動するチームは、1人の女性と2人の子供のもとに到達した。数日にわたり救助を待っていた外国籍の母親エラさんとその子供たち、メイサムさんとアリ・バーデットさんは、228時間後にイスタンブル・ジャンダルマ捜索救助隊(JAK)、トルコ炭鉱協会(TTK)のチームにより瓦礫の中から無事救出された。3人が救出された時、周囲から歓声が上がった。アンタキヤでは、他の建物の瓦礫からも13歳のムスタファという名の子供が、チームの手によって228時間後に無事救助された。
■1350万人が影響を受ける
地震の被害があった10県の総人口は1342万1千人である。トルコ統計機構(TÜİK)のデータによると、地震の影響を受けた県の最新の人口は以下の通り。
ガズィアンテップ215万4051人、ハタイ168万6043人、アダナ227万4106人、オスマニエ55万9405人、ディヤルバクル180万4880人、カフラマンマラシュ117万7436人、マラティヤ81万2580人、アドゥヤマン63万5169人、キリス14万7919人、シャンルウルファ217万110人。
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翻訳者:関口ひなた
記事ID:55049