19人の専門医が故アミーニーさんの死因を確認 警察署の建物内でマフサー・アミーニーさんが意識を失った理由(2)
2022年10月08日付 Hamshahri 紙
(続き)
8歳のときに脳腫瘍の手術
フォルーゼシュ局長は続けてこう言った。「我々が故アミーニーさんの案件について、保健省、社会保障機構及び健康保険機構に問い合わせたところ、社会保障機構と保健省から我々に資料が送られてきた。ミーラード特別専門病院の資料によると、故アミーニーさんは1386年(西暦2007年)8歳の時に、頭痛と成長障害、及び視覚障害の症状から良性脳腫瘍と診断され、外科手術を受けている。また、そのとき[故アミーニーさんが病院に運ばれたとき]、故アミーニーさんの父親は医師たちが手術を行うことを認めている。その際、[腫瘍の手術を行なった]頭部の右側を切開して開いたが、[手術の痕は]外側から見てもわかるものだったし、解剖によっても明らかだった。またその時、医師の診断では、患部の状態から見て腫瘍が一部残っていた。」
テヘラン法医学局の局長は以下のように付け加えた。「我々の見解はすべて、医療記録に基づいて証明された、根拠のあるものだ。我々の根拠資料の一部は、医師や専門家、様々な分野の専門医による故アミーニーさんの外来診療に関するものだ。我々の見解は単に解剖と遺体の検視によるものではない。入院した時のものであれ外来診療の時のものであれ、患者の病歴を調査したものだ。」
フォルーゼシュ局長はさらに次のように述べた。「彼女の診察は主にタブリーズで行われ、1395年(西暦2017年)にスィヤ―マク・シーヴァー医師が度々往診していた。1395年(西暦2017年)以降も診察はさらに何度も行われた。1397年(西暦2019年)にはタブリーズで内分泌学の専門医であるバフラーミー医師による診察もあった。さらに、彼女は治療を続けるため眼科専門医の診察も受けていた。」
頭部と顔に外傷性損傷や傷の痕跡・証跡は全くなし
テヘラン法医学局の局長は次のように述べた。「マフサー・アミーニーさんの外表検査では、頭部や顔、頭蓋骨に外傷性損傷や傷の痕跡・証跡は全く見られなかった。耳の中での出血、及び脳内での出血あるいは神経細胞の損傷の跡も見られなかった。以前の手術でできたしこり状のものにはあったが、くも膜下出血の跡はなかった。」
同局長は続けた。「本事案の当初、故人の父親が同席して話し合いが行われ、それまでの治療の経緯についても父親に質問を行なった。さらに別の話し合いでは、父親は弁護士たちが同席する形で出席し、それまでの治療の経過や専門医が使用した薬について父親に尋ねた。」
フォルーゼシュ局長は言った。「患者[マフサー・アミーニーさん]は、甲状腺機能低下症や脳下垂体機能障害などの薬を服用していた。薬服用の証拠となる資料は社会保障機構から受け取っている。その上、患者は他の薬も不定期に服用しており、そのことは患者の記録に残っている。また彼女は多くの医師の診察も受けている。この種の病気治療の経過観察措置も取られてきた。」
脳の解剖後に血漿の存在
テヘラン医科大学のホセイン・ガナ―アティ学長がこう続けた。「インターネット上では外科手術を行ったという写真が公開されており、SNSに患者の病状の説明もなく誤った情報を投稿した者たちもいる。検査画像からわかるのは、CTスキャンではいかなる骨折も見られないということだ。さらに国の医療界のトップも、出血の原因が見られないことを確認した。」
ガナ―アティ氏は次のように述べた。「我々の調査が示していたのは、1人の若者が意識を失ったのは自然なことではなかったということだ。このことは我々にとって疑問だった。若者の間でこうしたことが起こる最も多い原因は、心臓破裂や重度の脳出血、外傷性脳損傷であり、これらの症状は徐々に現れ、時の経過とともに症状が広がっていくものだ。カメラの映像から、故アミーニーさんが死に至る外傷性脳損傷を頭蓋骨に負わなかったことは明らかである。我々の調査結果は、解剖結果と一致しするものだった。」
故マフサー・アミーニーさんの母により脳外科手術を受けていたことを確認
放射線科の正教授がこう付け加えた。「彼女の父親は、頭部の一部は血まみれだったが、頭蓋骨を開いて解剖したときに血漿が見られたのは自然なことだった、なにしろ解剖するために開頭したのだから、と発表した。」
さらにテヘラン州法医学局長は、こう話した。「胸部と腹部に対して行われた法医学的検査と解剖では、体内と胸部のいずれにも出血が見られず、内臓も全く問題がなかった。」
また、同局長は続けて次のように言った。「キャスラー病院で必要な検査が行われ、患者に必要な治療が行われた。同病院で故人の母親から彼女の病歴を聴取したところ、マフサー・アミーニーさんは脳外科手術を受けたことがあり、また、尿崩症や甲状腺機能低下症にかかっていた、とのことだった。故人の母親は、イラン暦1401年6月23日(西暦2022年9月14日)付でこれらの説明を行ない、また、子供の投薬状況についても医師たちに情報を提供した。」
−(了)−
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
翻訳者:IY
記事ID:55065