8月17日のコジャエリ地震から24年、追悼式典開催

2023年08月17日付 Hurriyet 紙

1999年8月17日に発生した地震で亡くなった人々は地震から24年の時を経て、震源地となったコジャエリのギョルジュク郡にて追悼された。

1999年8月17日に発生した地震から24年が経過し、震源地となったコジャエリのギョルジュク郡で追悼行事が行われた。

追悼行事には、セッダル・ヤブズ・コジャエリ県知事、ヤシン・エルケム・セリム外務副大臣、タヒル・ブユクアクン・コジャエリ広域市市長、笠原謙一在イスタンブル日本総領事、国会議員、NGOの代表者たち、地震で近親者を亡くした人たちが参列した。式典は、被災後に一部分が水没したカバックル海岸で行われ、犠牲者たちに祈りが捧げられた。

■それぞれの都市が対策を講じた国になりたい

コジャエリにおいて被災後の作業が継続していると述べたタヒル・ブユクアクン市長は、「我々は実のところ地震のたびに多数の犠牲者を出す都市や国となることを望んではいない。我々は地震が起こる前から対策を講じた都市がある国となることを望んでいる。このために必要な措置が頻繁に講じられ始めた。最も重要にして、ここ最近では昨年から今日にかけて講じられた措置は、全ての建物の調査が建築エンジニア協会やこの街の二つの大学と共に実施が開始されたことである。我が街には25万もの建物がある。住居という意味で述べている。個々の集合住宅内の各戸について述べているのではない。建物自体について述べている。これらすべての建物を、我が自治体、二つの大学、建築エンジニア協会、関連する他の公共機関とともに、知事府の支援を受けて、調査し始めた。」

■瓦礫の下から8~9時間後に救出された

地震時に瓦礫の下にいたという公正発展党コジャエリ選出国会議員のサデッティン・フラギュ氏は、「2時45分に現在のキョルフェズ郡のテュテュンチフトリキ地区に妻と子供たちと車できた。不幸中の幸いにも起きていた。非常に激しい揺れと約10~12秒後に滞在していた家が崩壊し、瓦礫の下におかれた。約8~9時間後に救出された。本当にあの地震で瓦礫の中に止まった際に、人間の無力さが如何なるものであるか、あの時期に経験した出来事を忘れることはできない。もちろん、我が国は地震の多い地域である。コジャエリ大学で、その後二期にわたって学長を務めた。学長を務めた時期に分ったのは、コジャエリ大学の工学部と、地震研究部門には優れた教員や同志がいることだ。残念なことに、1999年の地震で経験した出来事を記憶から消すことはできない。2006年には日本大使がスピーチを行い、私は当時自治医科大学で勤務しており宇都宮市にいた。インドネシアでのマグニチュード9を超える地震で約30万人もの死者が発生した時も日本にいた。これほどまでの大地震であったにも関わらず、病院で検診の際も死者は発生しなかった。3分ほど揺れた。ここでいつも言うのは、地震ではなく建物が人を殺すと言うことだ。これは科学や知識に依拠しないのであって、運命の定めではないのだ。したがって工学的観点で不足が補われていないのが、あのカフラマンマラシュでのここ最近の地震で分かった。しかし、幸いにもカフラマンマラシュ地震発生後、2月6日の朝に起床したときには約3~4時間後には政府が全力を尽くして、緊急災害対策局、数千もの支援、NGO団体、国家、軍隊、警察により被災地の傷跡が癒された。」と話した。

家族や友人をなくしたと話すヤシン・エクレム・セリム外務副大臣は、「我が国が経験した最も重大な災害のうちの一つである1999年8月17日の震災、別名ギョルジュク地震の発生から24年が経った。しかし、震災が残した傷跡は長い年月を経ても未だ私たちの心に残されている。マグニチュード7.4のギョルジュク地震では1万8千人以上もの国民が亡くなり、5万人近い負傷者が発生した。私も、皆様のように家族や友人たちを亡くした。この機会を借りて、ギョルジュク地震で亡くなった方々に改めてご冥福を祈り、遺族の方々にはお悔やみ申し上げます。」と発言した。

■30校を閉校に

コジャエリで実施されている作業を説明したセッダル・ヤヴズ県知事は、「まず初めに、リスク軽減する取り組みを続けており、災害に耐性のある社会を構築する戦略を据えている。過去と今日の間の最も根本的な違いのうちの一つは、明日も説明することになると思うが、調査の末30校を閉校にし、30校の建設を続ける。現在は2020年から553教室、46校を完全に改修し授業を再開した。現在は、333の教室を有する学校の建設が続いており、短期間の間に引き渡される。このほかにも、現時点で146教室の入札を行った。現在用地の受け渡し作業が続いている。」と述べた。


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翻訳者:清水志保
記事ID:56164