「トルコ人初の宇宙飛行士」として日本人をだました男の話
2024年03月01日付 Milliyet 紙
偽医者から偽学生まで、多くの職業が詐称されてきた。しかし、宇宙飛行士の嘘に関しては誰も聞くことがなかった。セルカン・アヌルルのストーリーを知るまでは。全世界を、特に日本人を「トルコ人初の宇宙飛行士」と言って欺いたセルカン・アヌルルは、真実が判明すると姿を消した。
編集:べテュル・ヤセミン・ケスキン/Milliyet.com.tr
ソーシャルメディアは、想像上の人格が現実であるかの如く存在し続けられる領域だ。ある人が自分の身元を明らかにして投稿する一方、ある人は異なるユーザーネームで、異なる写真を使ってこの空間に存在することを選ぶ。その中のほんの一部の人は、実際の身元を使って想像上の見え方を手にすることを選ぶ。セルカン・アヌルルのように。もしかすると、ソーシャルメディアで極端な発信をしなければ全く認識されなかったであろうセルカン・アヌルルとは一体誰なのか見ていこう…
■全ては2004年に始まった
セルカン・アヌルルは、ソーシャルメディアが我々の生活に入り込み始めたばかりの時期、すなわち今から約15〜20年前に現れた。あるとき、彼はソーシャルメディアと出版報道界に専門家として降り立った。2004年から2010年の間、多くの人が彼の日本での活動と仕事のために「日本のスーパーブレイン」「トルコの学問界を宇宙に引き上げるエレベーター:ATA」「日本人にとってのトルコのサムライ」と評した。
言われているところによると、セルカン・アヌルルは、ドイツで高等テクノロジー分野の修士課程を修了し、准教授の職階を持ち、宇宙物理学について東京で研究を行い、8つの大学で教授として授業を持ち、トルコ人初の宇宙飛行士であり、NASAで宇宙エレベーターの、日本で宇宙パラシュートのプロジェクトの発起人となり、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙物理学部門でトップを務め、9000人が働くJAXAの中で唯一の外国人であり、2009年にジャッデ出版から刊行された「トルコ人からサムライは生まれるのか?」という本の著者だった。これほど多才な人なら間違いなく話題になり、称賛されるに値しただろう。もちろん、これら全てが真実だったならばの話だが…
■論文の盗用が発覚、「知らなかった」と一言
2000年代中盤に東京で活動していたこの「才能ある」トルコ人科学者に対する調査が行われた。関係者が直面したのは、全くもって満足できる性質のものではなかった。特に、セルカン・アヌルルの博士としての論文の約40%が盗用だった。このことについて問われたとき、彼はこう答えた「博士課程の学生として、初めて論文を書いた。そのため、引用した箇所には番号を振って出典を明らかにするということを聞いていなかった。単純に私のミスによるものだ。既に辞職願を提出した」
これでは飽き足りない関係者は、トルコ人初の宇宙飛行士という主張についても調査したところ、これは非常に強い主張だった。自分が宇宙飛行士であることを心から信じていたアヌルルは、NASAで撮影された写真さえも持っていた。この写真を調査した関係者は、実はその写真はNASAの宇宙飛行士リチャード・J・ヒーブ氏のものであり、アヌルルはヒーブ氏の写真にモンタージュ加工を施したことが明らかになった。しかし、セルカン・アヌルルはこれに対しても確かな答えを持っていた。あらゆる場所で宇宙に行った最初のトルコ人だと主張し、示したその写真について、アヌルルは次のように述べていた「宇宙飛行士としての写真は、ヒューストンで趣味で作ったモンタージュ写真であり、私のプロフィールに使うのは間違っている」
■日本の関係者も続いた
セルカン・アヌルルのキャリアの「嘘」が次々と明らかになっていく中、全ての人に対して同じ回答をしていたアヌルルは、自身のSNSアカウントにおける宇宙飛行士、オリンピック王者、作家であること、トルコ人初の公式な宇宙飛行士候補としてNASAに派遣され、そこで2年間宇宙飛行士としての教育を受け、イリノイ大学とイスタンブル工科大学を卒業、日本宇宙物理学部門のトップを務め、アメリカの名誉勲章にふさわしいと認められ、東京大学で外国人の准教授の職位を得ていた科学者という記載を続けていた。さらに、彼を信じていた人々の数は過小評価できないほど多かった。
しかし、日本の関係者らは彼と協働した。調査の結果、セルカン・アヌルルが言っていた全てのことがでっち上げであり真実からは程遠いことがわかった。彼が言っていたことは嘘であり、日本で働くために提出した全ての文書が虚偽のものだった。日本宇宙物理学部門という組織はなかった。イリノイ大学・イスタンブル工科大学の卒業生ではなかった。彼はユルドゥズ大学建築学部を卒業していた。東京大学には彼以前に多くの外国人の准教授が勤めていた。
セルカン・アヌルルが実は思われていたような人物ではなかったことが判明すると、東京大学は「130年間の弊学の歴史でこのようなことは一度もなかった」との声明を出し、セルカン・アヌルルを解雇し博士号を取り消した。彼は「日本人を欺いたトルコ人」として歴史に残った。
この事件の後、セルカン・アヌルルは一瞬で姿を消すという言葉のまさにその通りに姿を消した。現在彼がどこにいるのか、誰も知らない。
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翻訳者:神谷亮平
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