地震から2年、疲れと怒りのアドヤマン

2025年02月07日付 Cumhuriyet 紙

地震発生から3日間救助が来なかった町では、議席をなくした公正発展党(AKP)があらゆる手を尽くしても、依然として問題は残っている。離婚や自殺も増加した。家賃は25000トルコリラ以上に高騰し、人々は仮設住宅に詰め込まれている。
 
明け方4時17分。寒い中にもかかわらず、大勢の人々が、地震のシンボルとなった時計塔に向かって歩いていく。時計は4時17分のままで止まっている。以前は「沈黙の行進」と呼ばれていたが、今はタクビール(「アッラーは偉大なり」と唱えること)の声が増えている。それに続いて、あるグループは「手を差し伸べる者のいない町アドヤマン」、「私の声は届いているのか」と叫んでいる。すべての声をかき消すのはマウリド(預言者賛歌)だ。

この町は、各地で発生したマグニチュード7.7の地震で2番目に大きな被害を受けたアドヤマンだ。

建物の3分の1を失った。5953棟の建物が、一瞬のうちに倒壊した。被災者は今でも、50カ所以上の仮設住宅で暮らしている。22平米の住宅での暮らしは非常に困難だ。本当の問題は、社会的分断である。離婚、薬物中毒、自殺は増加している。精神的な支援はない。人々は怒り、傷ついている。援助が来なかったために、瓦礫の下で見る見るうちに亡くなってゆく親族の苦痛は、軽くなることはなかった。

それゆえに、昨日タイイプ・エルドアン大統領が住宅を引き渡しに町を訪れるために敷かれたアスファルトや舗装は、静かな反発を強めている。

町は再建されつつある。先導するのは環境都市整備・気候省だ。どこもかしこも壊れてしまった大通りには、エムラク・コヌット社が建設した高級住宅街が誕生している。この住宅に入居予定の人々は、不透明な工期の終わりを待っている。契約したものの、住宅が完成するといくらの負債になるのかは判っていない。

生き延びた人々は、なぜ自分が生き延びたのかを問うているが、生きるための闘いや、回復しようという望みも日に日に高まっている。とりわけ女性たちの負担は重い。その物語はどんな言葉や形容でも表せないほどの痛みを伴う。たとえば、サフィイェ・クルシュは19人の家族を失い、娘のスラと共にやっとの思いで暮らしている。スラは通信教育を受けている。仕事には就いていない。コールセンターで18時間働き、耳に問題を抱えた。唯一の収入は、たったの4500リラの公的扶助だ。

■私たちの苦しみはあの日と変わらない

我々がアドヤマンにいるのは、素晴らしい計画があるからだ。数十年ぶりに共和人民党(CHP)所属のアドヤマン市長となったアブドゥッラーマン・トゥトデレの支援を受けて実現する計画だ。トゥトデレと働くセルマ・カラの調整で、16〜62歳の未経験の19人の被災者女性が集まった。カメラや照明、インタビューを学び、彼女らと同じくトラウマを抱えた女性たちから経験したことを聞いた。

「4時17分ドキュメンタリー映画製作所」のカメラマンであるプナル・アルスランは、2年経った今でも何もかもが当日のようであることを語り、「ドキュメンタリーは特に女性たちに向けて作ろうと思った。なぜなら、ここには安らげる場所がなく、ずっとテントや仮設住宅で暮らしているからだ。これは女性にとって非常に困難だ。苦しみは未だあの日のままのようだ…。人々は、『だから何だというのだ、仮設住宅で暮らせるじゃないか』と言う。いや、女性たちにとって非常に困難なのだ。この苦痛に、すべての人が目を向けてほしい。そこでは生活を続けることはできないのだ」と話した。

22歳の自閉症の子供を持つ主婦ベドリエ・オゼルは、苦しみを分かち合い生きていくために、このドキュメンタリーを撮ったのだと話す。

新聞記者のアルメン・コルクマズは、ドキュメンタリーの中で(女性たちが)経験したことを説明する際、団結についても語りたいと望んだといい、「私たちがこのドキュメンタリーを制作した目的は、歴史に遺産を残し、集合記憶のプロジェクトを立ち上げることだ。私たちの苦しみはまだ新しいが、声は力強い。啓発のためにも、ドキュメンタリー制作に加わったのだ」と話した。映画製作所の参加者のうちトゥライ・アチュク、フェリデ・ジョメルト、ザヒデ・ドゥルマズは、女性の団結が重要であると信じる女性たちだ。アドヤマンは生まれ変わっているが、それは女性たちの肩にかかっている。


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翻訳者:関口ひなた
記事ID:59651