250年前のペルセポリスはどんな姿だった?(写真付き)

2025年10月01日付 Hamshahri 紙

 1782年(243年前)作「ペルセポリスの遺跡(Ruins of Persepolis)」というタイトルの版画がロンドンのハリソン出版社を通じて刊行された。この作品は今日のイランにある古代遺跡のペルセポリスを題材とした彩色版画であり、高い柱、王宮の遺跡、そして周辺の山岳地帯の空間の細部まで描き出している。

(ハムシャフリー電子版)「ペルセポリスの遺跡(Ruins of Persepolis)」は1782年10月1日ロンドンで刷られた。この古代遺跡をヨーロッパ人が初めて絵画的に表現したものの一つである。

 1782年(243年前)作「ペルセポリスの遺跡(Ruins of Persepolis)」というタイトルの版画印刷がロンドンのハリソン出版社を通じて刊行された。この作品は今日のイランにある古代遺跡のペルセポリスを題材とした彩色版画であり、高い柱、王宮の遺跡、そして周辺の山岳地帯の空間の細部まで描き出されている。

 版画画像の細部とペルセポリスの状況に関する歴史的情報は、ここに描かれたものが事実とは著しく異なっていることを示しているが、現存するペルセポリスの最も古い絵画の一つである。

 版画の前景には伝統的な衣装を身に纏った何人かの人物が見られ、遺構を人々が訪れていたことを表している。この構図はアケメネス朝建築の壮大さを浮き彫りにしているとともに、世界の歴史の最も重要な遺構が人々の生活の一部にもなっていたことを思い起こさせる。

 版画の刷り込みキャプションによると、版画家[絵師]の名は「Stothard del[ストザード画]」、彫師の名前は「Birrell sculp[ビレル彫]」と知られる。18世紀の芸術の慣習では歴史的景観の表現への貢献を評価して、絵師と彫師の名前を作品上に記すことが広く行われていた。

 この版画は世界の歴史的な場所や光景を記録した絵画的表現群の一部であるとともに、今日のヨーロッパの資料に現存するペルセポリスの最古の絵画的表現の一つとして知られている。


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翻訳者:TH
記事ID:60988