パレスチナ料理とそのアイデンティティ、帰属意識、伝統

2026年05月14日付 al-Quds al-Arabi 紙

■世代から世代へ受け継がれる歴史…ジュディ・カラー氏と語るパレスチナ料理、そのアイデンティティ、帰属意識、伝統

【本文】

ジュディ・カラー氏は、シリアで生まれ、カタールで育ち、英国で暮らしてきたパレスチナ人である。彼女の家族は、パレスチナのサファド、リッダ、ヤーファにルーツを持つ。カラー氏が『クドス・アラビー』紙に語ったところによれば、こうした家族の出自は、彼女の成長や人格形成、そしてアイデンティティとの関係において、切り離すことのできない一部となってきた。

カラー氏は次のように語る。「私の家族は、いつもパレスチナについて話すことを大切にしてきました。どのようにして難民としてシリアへたどり着き、その後カタールへ移り、さらに英国へ渡ったのかという話です。また、親族のほかの人々は、レバノン、ヨルダン、エジプト、米国に暮らしています」

「1948年に私たちに起きたすべての出来事の中心にあるのが、ナクバです。私の祖父母は、ほかの75万人のパレスチナ人と同じように、パレスチナから強制的に追放されました。2週間後には戻れると言われて故郷を離れたのです。しかし、イスラエル国家の成立からすでに76年が過ぎました。かつて75万人だったパレスチナ人は、いまやおよそ800万人となっていますが、イスラエルは彼らの帰還を認めていません」

料理はアイデンティティを形作る

パレスチナ料理に関する著書『皿の上のパレスチナ』と『バラディ』を執筆したジュディ氏は、パレスチナ料理が自分たちの人生とアイデンティティにおいて大きな役割を果たしてきたと語る。

「それは、単にアラブ人としてだけでなく、とりわけパレスチナ人としてのアイデンティティです。私たちの料理は、レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトなど、この地域の料理と似ていますが、パレスチナ料理には独自のアイデンティティがあります」

「私はいつも母と一緒にいました。母方と父方の叔母たちは、ロンドンにある私たちの家にいつも集まっていました。母には9人、父には7人の姉妹がいます。そのため、私たちの家が一族の集まる場所になっていました。私は、叔母たちが料理をし、ファターイル、ヤーファウィーヤ、ムサッハン、キズハをはじめ、さまざまな料理を作る姿を見ていました」

「そうした料理の多くは忘れられてしまったように見えましたが、叔母たちは作り続けていました。バッサーラもその一つです。こうした料理はあまり広く知られていないかもしれませんが、本当においしいのです」

ジュディ氏は大学と修士課程を修了した後、料理人となった。

「フランス料理、英国料理、多様なアジア料理、日本料理、イタリア料理の修業を積みましたが、自分のルーツに戻りたいという思いは常にありました。それこそが、私のアイデンティティを表すものだからです。他国の料理を作るよりも、自分自身の料理を作る方が、より自然に感じられました」。


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翻訳者:浜岡良奈
記事ID:62350