イスラームに対するシオニズムの敵意の歴史的ルーツ;ジャディードボナーブ師「預言者ムハンマド(彼とその一族に神の祝福あれ)はメディナに移った時、対話、盟約、そして社会的共生に基づいて行動した(3)

2026年08月10日付 Jam-e Jam 紙
―続き―

◆その移住は歴史上どの時期に起こったのですか?

―このできごとは、聖なる預言者[預言者ムハンマド](彼とその一族に神の祝福あれ)が誕生される数年前に起こりました。ユダヤ教徒たちは自らの宗教書で読んでいたことに基づき、かねてから最後の預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)の到来を待ち望んでおり、それ故にヤスリブへ移住し、その到来の瞬間を近くで迎えようとしていたのです。

◆そうであるなら、なぜ彼らは後に預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)に反旗を翻したのでしょうか?

―歴史的伝承によると、一般のユダヤ教徒はみな約束された預言者に同行するためにその地へやって来ましたが、ユダヤ教の律法学者と長老の一部は、預言者の到来によって、自らの社会的地位や宗教的影響力、現世的な利益が脅かされることをよく理解していました。それ故に、一般のユダヤ教徒がこのことに気づく前に、神の約束が成就することを妨げようと企み、前述の計画を実行しました。

◆全てのユダヤ教徒がこの決定に参加したのですか?

―いいえ。一部の資料に伝えられていることは、限られた集団のユダヤ教律法学者たちの決定と行動に関するものであり、すべてのユダヤ教徒を指すものではありません。これらの律法学者たちは密かに会合を開き、約束された預言者にどのように対応するか決定するために、イエメンの卓越した学者と相談したとさえ言われています。ゆえに、こうした行動は特定のユダヤ教指導者集団によるものであり、一般のユダヤ教徒によるものではありません。

◆メディナにおけるユダヤ教徒の存在は、この街の人々がイスラームを受容することに対して影響を及ぼしましたか?

―メディナの人々が預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)のダアワ[※イスラームへの呼びかけ、招き]を受け入れた主要な理由の一つは、彼らが既に約束された預言者の徴しを知っていたことでした。メディナに居住していたユダヤ教徒たちは、この徴しのことを何年にもわたって人々に繰り返し語っていました。そのため、聖なる預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)がダアワを始めた時、メディナの人々の多くはそれらの特徴[※ユダヤ教徒がメディナで何年も語り継いできた約束された預言者の特徴]がムハンマドに当てはまると考えました。まさにこのことにより、彼らはまたたく間にイスラームを受容していったのです。

◆メディナの人々は約束された預言者の徴しに気づいていたにもかかわらず、ユダヤ教徒はなぜ聖遷後に反旗を翻し始めたのでしょうか?

―まさにそのとおりですね。メディナの人々、特にアウス族とハズラジュ族[※イスラーム誕生以前のメディナ(ヤスリブ)で激しく対立していたアラブの二大部族であり、預言者ムハンマドの仲介によって和解した後は、ムハンマドを支えるアンサールとして初期イスラーム共同体の基盤となった]は、約束された預言者について長い間ユダヤ教徒から聞いていたために、聖なる預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)の真実性について何の疑いも抱いていませんでした。それ故に、彼らは預言者と盟約を結び、預言者にメディナへの移住を呼びかけ、最初のイスラーム共同体の形成への礎を築きました。しかしながら、預言者がメディナに定住した後、件のユダヤ教律法学者らの一派による妨害が始まりました。

◆聖なる預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)はメディナに移った当初、ユダヤ教徒の部族に対してどのように対応したのでしょうか?

―聖なる預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)はイスラームの統治を確立した後、メディナの住民間の一般協定を起草したことに加え、バヌー・カイヌカー族やバヌー・ナディール族[※いずれも7世紀のメディナ(ヤスリブ)に居住していた主要なユダヤ系部族であり、預言者ムハンマドとの対立を経てそれぞれ同市から追放された]、その他の部族を含むユダヤ系諸部族と個別の盟約を結び、全ての人々が共同の責任と平和的共存の枠組みのうちに生活できるようにしました。

◆最初の盟約違反は誰が犯したのでしょうか?

―歴史的記述によれば、これらの盟約に最初に違反したのはユダヤ教徒自身でした。初めに、バヌー・カイヌカー族が名誉にかかわる問題を引き起こして盟約を破り、最終的にメディナから追放されました。その後もバヌー・ナディール族が盟約違反を犯しただけでなく、聖なる預言者(彼とその一族に神の祝福あれ)の暗殺を企てました。

―(4)に続く―


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翻訳者:OK
記事ID:62765