地域を知る者にとって、これは見慣れない放送だった... なぜなら、少し前までPKKとKDPの間には流血を伴う衝突があったからだ。ロジテレビが立ち上げられて以来、「KDP党員によって殺されたPKKゲリラ」のための追悼放送が流されていた。にもかかわらず、KDPのテレビではPKKの名前さえ出されていなかった。
目下生じている歩み寄りは、誰にとっても驚くべきことだ...
ヨーロッパから情勢を分析しているある専門家は、次のように見ている:「トルコ政府が傍観したままであるため、クルド問題の解決は(北イラクの)スレイマニエで求められるようになった」。
ではこの結果はどうなるのか?
「原初的な民族主義と反トルコ主義に基づくクルド人の連帯、ということになろう...」
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こうした状況の出現は、まさに北イラクにクルド国家が構築されはじめ、トルコ南東部で人々がバルザニに(現状に対する)絶望のまなざしを向け、北イラクとトルコ南東部との間で商業的、政治的、文化的な協力関係が深まった時期と重なる。アメリカは北イラクでこれ以上の混乱を望んでおらず、クルド人組織に対し互いに協調するよう暗に求めたことが分かっている。それと平行して北イラクにおけるPKK勢力を一掃することを目的とした「PKK調整官プロジェクト」も終結している。
地域での主導権は完全にバルザニの手中にある。
こうした状況に対し、北イラクへの一刻も早い越境軍事行動を求める人々もいる。
「問題をまず(トルコ)国境内で解決しよう」という人々も... この考えの人々は、今日アンカラで会議を開く。「トルコはその平和を求める(Turkiye Barisini Ariyor)」と題された2日間の日程の会議では、クルド問題への解決が模索される。ヤシャル・ケマルからミュンタゼル・テュルクオネ、オスマン・バイデミルからサリム・ウスルに至る、大きく異なる見解の持ち主が一堂に会する。
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PKKは昨年10月1日に停戦を宣言した。時折起こる衝突で破られることがあるにせよ、停戦はいまだに続いている...
先日アブデュッラー・オジャランの弁護士たちは、オジャランからのメッセージを伝えた。(その中で)オジャランは、エルドアンは「トルコ南東部での軍事行動に目をつむる見返りに軍部から大統領となるお墨付きを得た」と主張、「5月までに国が問題に対処しなければ、また結果として戦闘にかかわる決定を下すなら、私は仲を取り持つことから身を引こう。『済まないが私はいない。被害を出す戦闘で起こることの責任は取らない』と仲間に謝るだろう」と述べた。さらに「(オジャランは都合よく)使われているのではないか」との声に向けるかのごとく、「このような状況では自分自身をも使わせない」と付け加えた。
他方で、“審判役”を務めることになる知識人委員会に武器を引き渡す用意があると述べた。当初から自身をトルコに引き渡したアメリカとバルザニの役割の高まりに激しく反対してきたオジャランは、最近になってKDPが仲介役を務めることに穏当な態度を示している。これもまた(クルド勢力の)力がバルザニへ集まっていることのもうひとつの表れである...
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トルコはそもそもイバラの道から出発している。
近づいている大統領選挙は、(クルド問題の)扇動に極めて有効な土台を提供している。その上に好戦的な雰囲気が加われば、大惨事となる。もちろんバルザニがトルコ南東部の問題解決のよりどころとなってもだ...
危険を察知した国の高官たちは注意を喚起している。願わくば、今日会議に集まる知識人たちもこうした情勢を逆転することのできる平和的な解決法を提案することができればと思う。
URL: http://www.milliyet.com.tr/2007/01/13/yazar/dundar.html
(翻訳者:穐山 昌弘)
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