アイラン君の海岸遺体写真から2年、何がかわったのか
2017年09月01日付 Hurriyet 紙
幼いアイラン君の遺体が海岸に打ち上げられたあの時、みなが涙を流した。あれから2年が過ぎた。アイラン君の伯母が、ヒュッリイェト紙のインタビューに応じてくれた。「アラン(アイラン)がボドゥルムの海岸に打ち上げられた写真を見た時、これは神様からのメッセージなのだと思いました。2015年9月2日、あの日、世界中が涙したのを見ました。しかし、数ヶ月後にはみなが日常に戻りました。しかしながら、あの時誰もが多少なり自らに責任を感じ、手助けをしようとしてくれました。」2015年9月1日の夜から翌2日朝にかけての時間…ボドゥルムのトゥルグトレイス・フェネルブルヌ海岸…寄せては引く波打ち際の砂の上に、とても小さな身体が。赤いTシャツに紺色のショートパンツ、そして靴を履いた状態でうつ伏せに横たわる小さな男の子の写真は、何年も我が国の海岸沿いを移動する移民の波や、失われた命の象徴のように心を掻き立てた。その写真はまるで、シリア内戦とともに始まった世界史上最も痛ましく、困難で且つ膨大な移民の波の声を形にしたようであった。毎日のように新聞の見出しを飾ったこの写真は、すでにこの世を去ったヒーロー、コバーニー出身のアイラン君であった。彼の母と弟も、その晩コス島へ向けて出発した旅路の途中に命を落とした。
■「世界へもう懲り懲りだと叫びたかった」
アイラン君は最初で最後の犠牲者とならなかった。あれから2年が過ぎた。妻と2人の子どもを失った父のアブドゥッラー・クルディさんは、かつては故郷へ帰ることを望んだが、コバーニーで生活することは叶わなかった。しばらくはアルビルで、バルザーニ氏の保護下にいた。以前、イラクに移住した父のアブドゥッラー・クルディさんを訪ねた。クルディさんは故郷で一人暮らしをしていたが、バルザーニ氏からの呼びかけを受けてアルビルで生活を始めたと話した。クルディさん一家があの悲劇的な結末を迎えた旅路で目指したカナダに暮らす伯母のティマ・クルディさんは、この2年間世界に向けてこの悲劇を発信し続けている。アイラン君が命を落としてから2年、何が変わったのか。この2年間について、ティマ・クルディさんと話した。
■一家の内3人が命を落としたあの悲劇的な事件から2年が過ぎました。振り返ってみて何が変わりましたか?
「私や家族にとって、人生の中で最もひどく悲しい2年間でした。人々がどうあれ、生きるためにできることの最良を行うためにどれほど努力したかわかりません。アラン(アイラン)がボドゥルムの海岸に打ち上げられた写真を見た時、これは神様からのメッセージだと思いました。もちろん、もっと前から何千人もの子どもたちが亡くなっており、今でも命を落とす子どもたちがいます。しかし、そうした環境に子どもを置いたのは私ではありません。神様は、私たちに共生すること、互いを愛すること、互いを理解すること、利己的にならないこと、そしてどんなことにも不満を抱くことをやめることを望んだのだと強く信じています。アランの写真は、まるでそうした何千人もの子どもたちの写真のようでした。どんな宗教を信仰していようと、それぞれが信じる神様が私たちを目覚めさせるためにメッセージを与えてくださったのです。人はみな同じ人間です。どこから来たかなど重要ではありません。2015年9月2日にアランが海岸で発見されたことで、世界中が涙したのを見ました。このことで私がどれほどの衝撃を受けたか、あなたに説明することはできません。説明する言葉が見当たりません。私はあの写真を見ることができません。しかし、あの時誰もが多少なり自身にも責任があると感じ、そして自分の子どもたちにも起こりうることだと考えました。そうした(危険な環境にいる)人々の手助けをしようとしてくれました。そう、国境を開くかのように…しかし、数ヶ月後にはみなが日常へと戻ってしまいました。」
■あなたは当時もカナダ在住でした。事件を最初に見聞きしたとき、そしてあの写真を見たとき、どのような行動をとりましたか?何を感じましたか?
「事件について聞かれると、いつもとても困ってしまいます。弟が移住の旅に出ることは知っていました。あの9月の朝は、いつもより早く目が覚めました。電話を見ると、家族から何十回も着信がありました。トルコやシリアにいる家族からでした。その着信を見た瞬間、何か悪いことが起きたのではという考えでパニック状態になりました。最初にシリアに住む妹に電話をしました。最悪の気分でした。唯一聞き取れたのはアブドゥッラーの名前だけでした。心臓の鼓動が早まりました。その後、イスタンブル在住の妹ともう一人の弟であるムハッメドに電話をかけました。彼の奥さんが泣きながら電話に出ました。そして私に悪い知らせを伝えました。アブドゥッラーの家族であるアランとガーリプ、そして奥さんのレハネが亡くなったと、溺れたようだと。私はその場に崩れ落ち、大声で泣きました。全世界に『もう懲り懲りよ!』と叫びたい気持ちでした。」
■彼らはトルコで暮らした時期もあったようですね。なぜ彼らはそこにとどまらず、この困難な旅路を選んだのでしょう?大方の人々の頭にはこの疑問が浮かぶようです…
「長い間、彼らは辛い思いをしていました。移民の人々に対してなぜ移住するのかと問う人々に、私は次のように答えたいと思います。自身を危険な状態に置きたいと思う人などいません。それがさらに悪い状況になればなるほどです。こうした理由から、私は自分自身の心の声に耳を傾けることにしました。『人々に語りかけ、声を届けるのです』と。この2年間、何度も会議やセミナー、大学といった場所で講演を行いました。多くの団体に向けて訴えかけました。」
■「これはあなたの子どもにも起こり得ることなのだと訴えかけています」
■それでは、そうした会議や集会の場で発信しているメッセージとはどのようなものでしょう?
「『自分に置き換えて考えてみてください』と伝えています。しかし、例えば北米では、人々は非常に遠い場所での出来事と考えがちです。『私には関係ないし、私が何かしたわけでもない』とみなが言います。そもそも、責任のない人などいません。『想像してみてください。これはあなたの子どもにも起こり得ることであり、ある日突然、あなたもすべてを捨てて移住しなければならない状況に置かれる可能性があるのです。あなたが望むものを思い浮かべてください。さて、あなたはどうしますか?』と語りかけるようにしています。私は、この2年間に行ったことを誇りに思っています。なぜならこれは家族のためだけでなく、他の人々にとっても手助けとなったからです。彼らは私に力をくれました。これは私にとって、人々の頭の中に希望の種をまき、そしてそれにゆっくりと水をかける行為のようだと思います。」
■移住の理由を取り除いてほしい
■当時、世界の首脳らが支援を表明しました。彼らに何を伝えたいですか?
「『世界に対し、私はもうこんなことは懲り懲りであり、難民への支援と解決策の提示を望む』と伝えます。難民が発生する理由は戦争です。世界の指導者の方々へも呼びかけます。どうか、こうした人々の痛みを考えてみてください。彼らに尊厳を戻して下さい。彼らが自分の家に戻ることを許してください。戦争が始まってから7年が経ちました。もし難民の人々に問いかけたならば、その大部分が自分の家に帰りたいと答えることでしょう。しかし、残念ながら彼らが帰るべき家はもはやありません。正直に言って、彼らが家に帰ることが非常に難しいことはわかっています。ヒジャーブを着たムスリムの人々が、欧州や西側の国々で安全に暮らすことをどうやって保障できるでしょう?なぜなら、みなが彼らを見てテロリストだと考えるからです。しかし、彼らもあなたや私と同じ普通の人間です。そもそも、こうした考えを人々の脳裏に思い浮かばせることを許したのも世界の指導者たちなのです。難民問題の解決策は、そもそもシンプルです。そう、あなたの言うとおり、戦争を終わらせることです。たった一言、『戦争をやめろ!』と言うだけなのです。誰もが難民問題について語ります。しかし、問題について語るぐらいなら、難民の人々が移住を迫られる理由そのものを取り除いてほしいのです。難民問題を語る国々で起きていることが、難民に移住を強いているのです。シリアにおける戦争に関して、政治的なかけひきをやめれば人々は移住することなどないでしょう。私は、これからも発信し続けます。しかし、もし戦争が今後も続くようなら、より残虐な行為や多くの難民を目にすることになるでしょう。私たちはこれを終わらせなければなりません。」
■まだ最悪な状況を目にしてはいない
■「あの写真が何かを変えてくれると思ったが、何も変わらなかった」とおっしゃいましたね。このようなことが起こらないようにという願いとは正反対に広がる人種差別主義の波について、どのように考えますか?
「人種差別主義の人々は、どの国にもいます。しかし、大部分が難民を支援しています。ただ声に出して言わないだけなのです。世界の指導者らが行動に移らなければ、何も変わらないでしょう。私たちはまだ本当に最悪な状況を目にしてはいないのです。2年前を振り返ってみると、あの写真は世界史上最大の悲劇だと当時は思いました。しかし、毎年より大きな悲劇を目にしています。私は世界の指導者らに伝えたいのです。心を開いてほしい。国境を開いてほしい、と。」
■アイランではなくアラン
アラン・クルディ君の名前は、トルコ語で最初に報道された際に、世界中で、世界各国のニュースでアイランとして伝えられた。しかし、父のクルディさんは会談の中で息子の名前はアランであり、「アイラン」と記載されたことに不快感を抱いていると話した。「どうか、息子を『アイラン』ではなく『アラン』と呼んでほしい。これは私にとってとても大事なことです。」
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:43324 )