闘争民主党におけるタウフィック・キマスの後継者は誰か。
2013年06月11日付 Kompas 紙
闘争民主党(PDIP)党首プアン・マハラニ
ジャカルタ、kompas.com配信
闘争民主党(PDIP)の政治家、パンダ・ナババンは故タウフィック・キマス氏の子供である二人が、闘争民主党内での父親のリーダーシップを引き継ぐのに適任であるという見方を示した。その二人とはモハンマド・プランダ・プラボオとプアン・マハラニである。
「私は彼の子供はみんな適任だと思います。 政治の分野ならば、ナナン(プラナンダ)とプアンでしょう。彼らはまさに政治の世界で育ちましたから」と、6月9日(日曜日)、カリバタの英雄墓地でのタウフィック・キマス氏の埋葬に立ち会ったパンダは述べた。
プアンは現在、国会の常任委員会第一委員会のメンバーで、闘争民主党会派の会長でもある。いっぽう、「ナナン」の愛称を持つプラナンダは今のところ表立った活動はしていない。彼はむしろ母である第五代大統領、メガワティ・スカルノプトゥリの側近を務めるほか、祖父である初代大統領スカルノが打ち出した構想に関する様々な著述に携わることが多かった。
2010年にバリ島でおこなわれた第三回闘争民主党大会では新たなリーダーとしてナナンの名が浮上。しかしながら寡黙な人物として知られるナナンは裏方として働くことを常に選んだ。パンダはだれがタウフィック・キマスのあとを引き継ぐにしても、かつて国民協議会の議長も務めたタウフィック氏の二人の子息の資質にまちがいはないと太鼓判を押す。パンダは故人の見習われるべき資質として、問題の所在を整理することに長けていながら、常に謙虚であったことだと述べている。
報じられているように、タウフィック氏は去る6月6日(土曜日)、長い間患っていた病気の合併症のためシンガポールで亡くなった。同氏は6月3日月曜日シンガポールの病院で治療を受けていた。治療に入ったのは去る6月1日(土曜日)、東ヌサ・トゥンガラ州のエンデにスカルノ流刑時の旧居跡とスカルノの記念碑のオープニング式典に訪れたブディオノ副大統領に付き添ったあとであった。式典は1945年の6月1日に成立したパンチャシラ(建国五原則)の記念日にあたった。
タウフィクは享年70歳。妻のダヤ・プルマタ・メガワティストヤワティ、すなわちメガワティ・スカルノプトゥリ元大統領、そして三人の子供たちであるモハンマド・リズキ・プラタマ、モハンマド・プラナンダ・プラボオ、プアン・マハラニ・ナクスハトゥラク・シャラを残して逝去した。
( 翻訳者:南雲康平 )
( 記事ID:152 )