メガワティはなぜタウフィック・キマスの後任にシダルトを選んだか
2013年07月06日付 Kompas 紙
シダルト・ダヌスブロト氏
ジャカルタ、kompas.com配信
インドネシア闘争民主党は最終的に国民協議会議長を務めたタウフィック・キマス氏の後任としてシダルト・ダヌスブロト氏を指名した。バンテン(野生の水牛)をシンボルとする同党が党内の執行委員らにしばしばオパ(おじいちゃん)と呼ばれる古参の政治家を指名した理由は何か。
国民議会の闘争民主党会派代表であり、キマス氏の一人娘でもあるプアン・マハラニ氏は、スカルノ初代大統領の元補佐官であったシダルト氏が党内における長老的存在であることが、同党のメガワティ・スカルノプトゥリ総裁が同氏を選ぶうえでの判断材料になったと語った。
「他の候補者の中でも、シダルト氏は年功序列という点から見ればもっぱら最年長である。そうしたことからもシダルト氏は闘争民主党の理念をしっかりと理解しているだろうし、先代の国民協議会議長の遺志をしっかり継承して、適切にふるまうことのできる人物であると我々は考えている」と、去る8月4日、ジャカルタのスナヤンで行われた同党の議員候補者への綱領説明会終了後、プアン氏は語った。
国民協議会議長としてシダルト氏の名が確定する以前には、数人の候補者の名前が挙がっていた。その中に一時はプアン氏の名もあった。他にもタジョ・クロモ書記長、国民協議会副議長・プラモノ・アヌン氏、国民協議会の闘争民主党会派代表・ソンナ・H・ラオリー氏らの名が挙がっていた。
バンテン州のパンデグランに1936年6月11日に生まれたシダルト氏は現在77歳。年齢は70歳で逝去したキマス氏を上回る。国民協議会議長として指名されたことを受けて、シダルト氏はそれを一つの遂行すべき使命として受け止めていると語った。メガワティ総裁がキマス氏の後任として自らを選んだ理由についても独自の見解を持つ。
「最初プアン、タジョ・クロモ書記長、プラモノの名があった。プアンは党と会派の問題で忙しく、書記長も同様であった。いっぽうプラモノも国民議会副議長としてまだ忙しく不都合だったので最終的に私が選ばれた」とシダルトは述べた。
ベテラン政治家として、シダルト氏はハリヤント・Y・トハリ氏、メラニエ・レイメナ・スハルリ氏、ルクマン・ハキム・シウディン氏、そしてファルハン・ハミッド氏らという国民協議会で指導的な立場を担う他の4名とは旧知の仲であると述べた。国民協議会指導の基本理念に従った任務の遂行ができるようになるまでそれほど時間はかからないだろうと同氏は確信している。「もう高齢なので、国民議会では‘お父さん’と呼ばれるが、党の中央執行部では ‘おじいさん’呼ばれている」と、国民議会第一委員会のメンバーでもある同氏は付け加えた。
シダルト氏はキマス氏の後任として最善を尽くすことを約束した。キマス氏はあらゆる集団に対して友好的な姿勢を持ったことで知られ、旧世代と若い世代のまとめ役とみなされてきた。シダルト氏自身もそうしたキマス氏の姿勢に国民評議会を導くうえで大いにインスピレーションを与えられることだろうと述べている。
シダルト氏は警察出身で、いくつもの権威ある役職を担ってきた。スカルノ大統領補佐官(1967年~1968年)、インドネシア共和国警察情報局長(1975年~1976年)、西ジャワ地方警察長(1988年~1991年)なども務めたほか、一時は国際刑事警察機構インドネシア共和国本部長(1976~1982)も務め、1999年以来は3期にわたって国会議員を務めている。
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( 翻訳者:小倉淳寛 )
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