将軍宅を将軍基金で購入
アウンサン将軍を初めとする指導者達が暗殺された後、将軍が住んでいた家を永く保存することが決められた。1948年2月19日の会議の決定に従って、国民が寄付した26万5310チャットを基金として使用し、その家を購入することが決められた。当時の基金委員会の事務長はタキン・タントゥンだった。
アウンサン将軍公園
植民地時代には「ダルフージ公園」と呼ばれた。後にはカンドージー公園になった。第二次世界大戦の終わりころまで、現在、アウンサン将軍の銅像が置いてある場所には、エドワード王の銅像が置かれていた。日本占領期にその像は取り除かれた。将軍が亡くなって以来、ダルフージ公園ではなく、アウンサン将軍公園と呼ばれるようになった。
公園内に現在ある将軍の銅像を製造したのはロンドンのサー・ジョン・カス芸術大学の校長コプナル氏だ。コプナル氏は将軍の写真を見て、銅像を作った。
銅像の高さは8フィート14インチある。その像の製作費として2000ポンドをコプナル氏に払った。
1955年2月13日(将軍の誕生日)、バウー大統領が国家式典として将軍像の除幕式を執り行った。
銅像の向かい側の道であるパーク通りも将軍の出身地を祝賀してナッマウッ通りと改名された。
国家の英雄達を葬る
1948年4月11日に殉難した指導者、アウンサン将軍、タキン・ミャ、ディードウッ・ウー・バチョー、ウー・バウィン、マン・バカイン、ウー・ヤーザッ、マインプン藩王(ソーブワー)のサオ・サントゥン、ウー・オウンマイン、コー・トゥエィ達をシュエダゴン・パゴダのふもとにある殉難者の丘に埋葬した。
マインプン・ソーブワーの亡骸をシャン州に持ち帰る
殉難の英雄であるマインプン・ソーブワー・サオ・サントゥンの亡骸は、1948年3月4日にヤンゴンから自動車や列車でシャン州マインプンへ持ち帰られ、火葬された。息子らが同氏の遺骨の半分をヤンゴンへ送ったため、それが殉難者の丘にある墓に入れられた。
離れ離れになった殉難の英雄達
9人の殉難の英雄のうちウー・ヤーザッとコー・トゥエィはイスラム教徒達であったため、1947年7月21日にタームエのムスリム墓地にイスラムの伝統に則って埋葬された。現在、殉難者の丘にある墓は記念として置かれたままになっている。
( 翻訳者:ソーソーミイン )
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