数万人もの人々がザップ将軍に思いを馳せた
2013年10月08日付 VietnamPlus 紙
ハノイの秋空は、バーディン区のホアンジエウ通り30番地にある邸宅に、ヴォー・グエン・ザップ総司令官(以下、「ザップ将軍」)を弔問する人々の流れのように淀んでいた。そこでは、だれもが悲しみに沈んだ思いを分かち合い、ベトナム人民軍隊の長に思いを馳せていた。
ザップ将軍への弔問時間は10月7日の朝8時からとなっていたにも関わらず、朝5時にはすでに多くの人々が集まり、秩序よく整列していた。10時には、将軍を弔問する数万人もの長い列がホアンジエウ通り30番地の家に向かって数キロ近くに亘っていた。
ハイフォン市の退役軍人グエン・チョン・グー氏は、健康が衰え、目はかすみ、耳もはっきり聞こえない上に、車椅子に座っていなければならない状況であったが、ザップ将軍の告別式に参列するために子と孫にハノイまで連れて来てもらった。グー氏は、将軍とともにディエンビエンフーの戦いを経験し、ヒムラムの丘やカオバン・バックカン・ランソン地方において戦いに臨んだ。将軍は傑出した司令塔として、常に兵士からも人民からも支持を受けていた。「ザップ将軍が亡くなったとのニュースを聞いたとき、私は本当に心が痛んだ。そして彼に別れを告げたいと心から思い、それが叶った」と、グー氏は声を詰まらせながら語った。
ホアンジエウ通りの路上では、グエン・ティ・キム・オアイン夫妻が悲しい表情で立っていた。彼らはザップ将軍に弔問を済ませたあとすぐに私たちのところに戻って来て、言った。「私たちの家はちょうどディエンビエンフー通りにあり、ザップ将軍の邸宅からわずか数百メートルしか離れていません。しかし、私たちは将軍を弔問するために、朝7時から列に並びました。その時にはすでに多くの人々が『ヴァン大将』(注:ザップ将軍の愛称)を弔問するために列に並んでいたのです。
邸宅の中に入ると、涙が流れ落ちました。私はホーおじさん(注:ホー・チ・ミン主席のこと)の国葬を思い出しました。その頃、私はまだ小さかったけれど、それでもベトナム民族のはかり知れない悲しみを感じたものです。国全体が偉大な指導者の死を嘆き悲しみ、そして今日、ザップおじさんを弔問したときも私はあの時と同じ気持ちになりました」と、オアイン夫人も声を詰まらせながら語った。
弔問客の流れを遠くから眺めながら、デンマークのグリーンランドからやってきたエレンさんとミカエルさんは語った。「我々はデンマークの新聞でザップ将軍が亡くなったことを知りましたが、思いがけなくベトナムに来ることとなりました。我たちも将軍を弔問したいのですが、列が長すぎて、いつになったら自分たちの順番が来るのかわかりません」。エレンさんは、デンマークでも、歴史書を通じて多くの人がザップ将軍の名を知っていると語った。
両目を涙で濡らした、かつてハノイ師範大学物理学科で講師を務めたレー・チョン・フン博士(76歳)は、ザップ将軍への弔問を終え、声を震わせて語った。「昔、ザップ将軍が教師だった頃を知っています。私にとり将軍は先生であり同僚でもありました。このたびの将軍の逝去の報を聞き、深い悲しみを覚えています。私は、子供たちにザップおじいさんを弔問するから邸宅に連れて行ってくれと頼みました。
私はこれまで幾度となく友人の弔問に行きましたが、私にとり、恐らく最も強い印象が残っているのは、ホーおじさんの弔問と今回のザップ将軍への弔問です。ホーおじさんが亡くなった日、私はタインホア省で仕事をしていましたが、その知らせを聞き、急ぎホーおじさんの弔問に向かいました。多分、私が偉大な指導者の棺の回りを歩いた最後の人間だったと思います」とフン博士は思いを語った。
フン博士は、今の世代と明日の世代の若者にザップ将軍を手本とし、勉学に励み、最も大切な愛国心、民族独立堅持の精神を見習って欲しいと希望している。ザップ将軍に思いを馳せることは、偉大な指導者が教えてくれた言葉に思いを馳せることなのだと述べた。
ザップ将軍の弔問に訪れる人の数は昼に近づくにつれますます増えていった。組織委員会の見積もりによると、10月6日、7日の2日間で、弔問に訪れた人々の数は数十万人にも上る。警備の人たちと組織委員会のメンバーは心を込めて弔問客を手助けした。
元サイゴン別働部隊の兵士で、トゥエン・クアン市ルオン・ヴオン社からやってきたダオ・スアン・ティエン大佐(67歳)は感慨深げに話した。「ザップ将軍が亡くなったとの報を聞き、本当に悲しかった。私は心の底から将軍を尊敬している。ザップ将軍は我々兵士がその指揮のもとに加わりたいと願う傑出した将軍だ。我々退役軍人たちにとって将軍の逝去は大きな喪失だ。我々は将軍から学び、将軍を見習う必要があると思う。
兵士だったころ、私は光栄にもザップ将軍に何度もお会いすることができた。直近では15日前、将軍は第108中央軍事病院で療養していた。これが最後にお目にかかることのできる日だったと分かり、とても悲しくなった」。ティエン大佐はハンカチを涙で濡らしながらそう語った。
弔問に訪れた人々のなかには多くの若者もいたが、大多数は一度もザップ将軍に会う機会のなかった人々だろう。しかし、民族の伝説的偉人に対する彼らの愛はいつになろうとも深いものがある。ホアンジエウ通りのネムの並木道に立ち、ハノイ市ロンビエン区のゴック・トゥイ小学校から来たグエン・スアン・ロンくんはすすり泣いていた。「午前の授業がちょうど終わった時に、お母さんが校門に迎えに来ておじいさんの弔問に連れてきてくれた。どうしたら、何日も前から考えていたように、仏前に将軍の似顔絵をお供えできるだろう」。
弔問に向かう数万人の列の中に、青い服を着たホーチミン共産青年団ハノイ支部のボランティアたちがいた。両手を組み、彼らは厳粛に弔問に訪れる同胞の列を整え、案内をしていた。
ザップ将軍の弔問客受け入れは、10月11日まで延長され、午前は8時から11時30分まで、午後は14時から16時までの間となった。
( 翻訳者:加藤俊哉、山口里緒 )
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