昔からミャンマーの男性の太股に入れ墨がいれられていたように、チンの女性たちの間にも、顔と首に入れ墨-もしくは頬墨と呼ばれる-を入れる慣習があった。
けれども、同じ刺青であっても、入れ墨をいれることと頬墨をいれることの本質は異なるものである。入れ墨が、美しく見せる装飾であるとすれば、頬墨は、素顔を損なわせることによる装いである。太股に刺青もしくは入れ墨のないビルマ人の独身青年を、女性たちが男らしくないと見做したように、頬墨(入墨)をいれていないチン人の乙女に対しても、素顔のままとは品がないと言って、目もくれなかったということを、地域住民の話から知ることができた。
チン州南部にあるカンパレッやミンダッなどの郡で、頬墨をいれているチン人の女性たちと会う機会をえた。
「14歳のときに、初めて頬墨をいれた。若い頃は気に入っていた。このように入れ墨をいれてこそ、美しいと思っていたのだもの」と、顔全体に黒点の入れ墨をいれているミンダッ郡の57歳ドー・ケインテールが、自らの顔をなでながら語った。
松の木の樹皮を火で熱してできた煤を土鍋の蓋にとり、搔き出して、コロハマメの葉のしぼり汁と混ぜ、籐の刺で頬墨をいれるので、痛みのあまり、一週間ほど食事さえも喉を通らなかったこと、生後7日間ほどで母親が彼女の耳に針で穴をあけてくれ、徐々に今のように大きなリング状の形になるよう広げてきたこと、頬墨、大きな耳穴イアリング、伝統衣装で着飾ると、品のある麗しい女性だと実感できるとドー・ケインテールが続けて語った。
「現代の女性たちは頬墨をいれず、美しくない。彼女らが頬墨をいれたいと言うのも聞かない。今後、頬墨の慣習は消え去っていくかもしれない」と彼女は語った。
頬墨をいれる慣習は、チン州で1960年過ぎ頃まで盛んに行われ、頬墨師も1990年頃まではいたことを、住民たちが語った。
現在はというと、50歳以上の女性だけに、頬墨をいれている様子が見られ、チン人の若い女性たちの間では、現代的な化粧のみが主流となっている。
「頬墨をいれていると、化粧をする必要がない。私たちの息子、娘たちは、このように頬墨をいれることや、耳に大きな穴を開けることに関心がない」とミンダッの住民でマカン・チン族の女性が語った。
このように頬墨をいれている女性たちを、美しくないと感じる人もいる。頬墨は生まれつきの美しさを台無しにし、一生、直すことのできない醜悪なものだと、ミンダッ郡の25歳の女性の1人が批判した。
「そもそもこの慣習は、自分で自分を醜く見せようとするところから生まれたもの。醜い容姿で暮らす必要がない時代に、どうしてこのような入墨をして暮らさないといけないの。このままできれいだもの」と、彼女は語った。
遠い昔、チン州にたどり着いたビルマの王がチン族の娘たちの美貌を気に入り、妃にとりたてたこと、しかし異なる民族と、夫婦として暮らすことができないチン族の娘たちは、チン州に逃げ帰ると、自分の顔を、醜くなるようにと、刃物で切り刻んだ、その出来事を端緒として、チン州南部に暮らすチンの女性たちが、自分たちの顔を醜くみせるよう、入れ墨、頬墨をいれる慣習が生まれたと、歴史の言い伝えにはある。
「チン南部に、頬墨をいれている人が多い。北部でも、若干いたことがある。彼女たちもほとんどが、容姿を変えるためにいれていた」とティーデイン(ティディム)地方の住民のひとりが語った。
かつて、チン州の山村では、村同士で争いが度々おき、美しい女性たちを見つけると、奪い去っていったので、このように頬墨をいれるようになったことを、彼女が語った。
ナーガ族の女性は顔に斑点のラインを縦にいれ、ムイン族の女性たちは頬にローマ字のPの形のような文字をいれ、額に彼女たちの村で彫刻し信仰している神像をあらわすY字形の記号をいれている。マカン・チン族の女性は、額と顎に斑点の模様の入れ墨をいれており、ダイン族の女性たちは、頬と額に斑点と縦横のラインを組み合わせて模様をいれる。ウプー族女性は、顔全体に黒点を隙間なくいれており、インドゥー族の女性も顔面に縦のラインと、目蓋の上にも入れ墨をいれていることが多い。
「本当は、女性たちが頬墨をいれるというのは、ちいさな斑点の模様でより美しさを完璧にし、男性が好意を抱き、強く惹かれるようにするためだ。王たちが妃に取り立てるから、頬墨をいれたというのは、ありえない。頬墨をせずに、結婚したなら、神霊に嫌われる。頬墨をいれている頬に接吻するといい香りがする」とミンダッ郡の高等学校教師が語った。
昔、ピュー族の踊り子たちは、膝まで覆う綿で織った濃い赤色の薄い布を、両肩の上から腋の下に差し入れて、身にまとっていたこと(現代のタウンダー族の服の着方に似ている)、顔にも頬墨をいれていたこと、「音楽家達は、クンルンばかり」とする種族の代名詞的な言い回しを見つけて、クンルンには「肌の色が黒い南部地域の男性」という意味があることを作家チッサンウィンが「ピュー族王子の音楽の旅とタイェーキッタヤー研究論文」で述べている。
「チン州南部に、頬墨をいれた女性たちはまだ多く存在している。およそ100人は下らない。これは、エコツーリズムを推進したいチン州にとって、ひとつのチャンスである。彼女たちにとってもメリットがあり、州にとっても利益のある、なにかしらのプランを立てるべきだ。例えば、見学に訪れたい人たちのために、別途地域を設定し提供するといったような」と、2月にミンダッとカンバレッを訪問した、マンダレー市の写真家が彼の見解を語った。
頬墨をいれることは簡単なことではない。顔面全体に籐の刺で斑点を緻密にいれなければならず、顔が腫れあがり、少なくとも半月ほど経たないと、腫れがひかない。そうして色は黒みを増すようになる。何気なく見ると、黒のように見えるが、実際は、黒一色ではない。薄緑、深緑に黒をあわせたような色である。
皇帝が妃に取り立てたのが起源であれ、伝統に基づくものであれ、チンの女性たちの顔に頬墨をいれるという慣習は、いずれにしても消え去ろうとしている。チン人は、顔に普通の人々が受け入れることのできない頬墨をいれることで、自民族と郷土を愛する心を示した。頬墨という文化の影には、様々な感慨や真実が隠されている。抑圧に抵抗せんとする精神もあった。チン人は頬墨をいれることにより、民族独立、民族自決の意識を持ち生きてきた。
居住地域によって斑点も、間隔をあけたもの、隙間なく細密なもの、絵のようなものまで描かれている場合もある。一部の人々は頬墨を、余計で、意味のないものと見る。けれども、選択の自由がなかった女性の人生において、頬墨だけが、彼女たちの脱出口であった。
「僕の母親も、頬墨をいれている。母を頬墨のせいで美しくないと、一度として思ったことはない」と、ミンダッで携帯電話修理店を営んでいるコー・サーラインが語った。
( 翻訳者:松浦 宇史 )
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