ファン・フイ・レー教授:生徒が「歴史」を嫌うのは当然のこと
2014年04月23日付 VietnamPlus 紙

 生徒が教科の「歴史」に対し魅力を感じていないという状況は、ここ数年間で日に日に広がっている。
 今年、教育訓練省は同科目を高校の卒業試験の選択科目としたが、ほとんどの学校で生徒が「歴史」を選んだ割合は10%以下で、この割合が0%という学校も多くあった。
 「歴史」の全国優秀者の表彰式に際し、Vietnam+の記者はこの問題についてベトナム歴史科学協会会長のファン・フイ・レー教授にお話を伺った。

(問)歴史科学協会は以前、「歴史」を試験の必修科目に入れるように提案していましたが、今年、試験を刷新する際に教育訓練省はこれを選択科目の中に入れました。この刷新についてご見解をお聞かせください。
(答)試験の改革は必要ですが、教育訓練省が歴史を選択科目にした際にはおそらくまだその結果を見通してはいなかったと思います。中等教育において、社会科は人間の人格、人間力、思考能力を形成する上で重要な役割を果たします。同省が定めたような試験の仕方は、実際のところ、「歴史」を排除するものです。
 「歴史」を選択する生徒はきわめて少なく、「歴史」を選択した生徒がいないという学校もあります。この現実を前に、世論は二つの方向に分かれています。一つ目の方向は、社会科の地位が低下して「歴史」の学習に悪影響が出ることを心配する見方です。二つ目の方向は、心配しすぎるべきではなく、生徒は大学入試との兼ね合いを考慮しなければならず、多くの生徒はA群、B群、D群(訳注:受験する学部により試験科目が異なり、科目群化されている)の試験を受けるため「歴史」を選択しないのは当然の賢い計算だとするものです。
 個人的に私は、生徒が「歴史」や「地理」をやめて、自然科目を選んでもまったく驚きはしません。それは生徒の損得勘定からすれば、きわめて理にかなっています。しかし他方で、教育訓練省の試験刷新の仕方は、狭くは「歴史」、ひいては社会科の地位を低下させ、それらを附属的科目と見なすものであることを私は強調したいと思います。「歴史」を受験しないと決めている生徒は、この科目を勉強しなくなるでしょう。現在、私たちは高校レベルではまだ区分せず、全面的な教育を求めています。
 もし生徒が成長して公民となっても、歴史についての理解が「盲目的」ではないにしろ曖昧で、体系性と基礎を欠き、そのため知識が不足しているだけでなく、公民・民族の性格・意識の問題にまで関係してくるとしたら、私たちはどのようになるのでしょうか。私の考えでは、この問題はきわめて根本的で、責任をもって研究する必要があります。私は非常に心配しています。
 私たちは「歴史」を必修の試験科目にすることを何度も提案をし、世論もまた多く議論してきました。これはベトナムだけに限った問題なのではなく、アメリカのような第一級の工業国を含め国際的に経験している課題です。多くの国は「歴史」を必修教科としており、算数、国語と並んで基本的な教科とみなしています。卒業試験に、「歴史」を欠くべきではないと私は考えています。

(問)しかし生徒に「歴史」の試験を強制したところで、おそらく生徒が持っている知識は試験が終われば、たいしたことはなくなるでしょう。先生は、ますます生徒が「歴史」を嫌いになっているのをどのようにお考えですか?
(答)生徒が歴史を好んでいないのはここ何年かで広がっている現実であり、将来的にも続いていくでしょう。これは非常に悲しむべき、また懸念すべき現実です。
 これは「歴史」に魅力が足りないからというわけではありません。ただ、現在の教授法、カリキュラム、教科書では、生徒が「歴史」を嫌になるのも当然です。カリキュラムは知識偏重で、教科書は事件がてんこ盛りで、過剰でもあり不足してもいます。教授方法も一方通行でダイナミックさに欠け、暗記が求められています。若者は能動的でエネルギッシュであり、生徒たちに受け入れられないのは明らかです。私が生徒でも嫌になるでしょう。
 ある程度、「歴史」が好きでないという態度は、現在の教える内容と方法への不同意を表明しています(私の考えでは、積極的に)。それは若者の主体性を示しており、「歴史」を教え学ぶ方法を変えるよう私たちに求めています。

(問)教育訓練省はこのギャップを認識しており、現在、カリキュラムと教科書を刷新する提案を策定しています。先生のお考えでは、「歴史」はどのように変わらなければならないでしょうか。先生個人とベトナム歴史科学協会は、中等教育のカリキュラムにおいて「歴史」の教授と学習を刷新するために、どのような貢献をしてきたのか、しているのか、そして今後していくのでしょうか。
(答)「歴史」を変えるには、全体のなか、体系のなか、つまり個別に切り離すことのできない中等教育全体の抜本的刷新の提案のなかで実行しなければなりません。
 「歴史」を教える目的とは何なのか、「歴史」が子どもたちの人間育成にどのように貢献するのかという認識から変えなければなりません。そうすることで初めて、何を、どのように学ぶのかを決定出来るのです。こうした認識から始まって、カリキュラムの策定や教科書編纂の中で具体化していくでしょう。教員もまた再訓練し、改革の新たな要求に応えなければなりません。
 これは、私が待ち望んできた提案に盛り込まれているきわめて重要な問題です。
 私個人も協会も、新たな提案を立案するために、すすんで意見を出していきます。中でも特に、カリキュラムの策定や「歴史」教科書の編纂については。
 歴史教育の体系的な変更が行われる前でも、私たちはそれにおいて幾分かの変更を加える為に努力しています。協会は学校の「歴史」の授業の実情に関する学術会議を開きました。また、生徒のやる気を高める為に、「歴史」で優秀な成績を収めた学生・生徒を表彰しました。
 今年、協会は教育訓練省と共催で、生徒が歴史により関心を持つように、「歴史大好きコンテスト」を開催しました。
 近いうちに私たちは、教科書、とりわけ「歴史」の教科書の編纂に関する意見を聴取する専門家のシンポジウムを開く予定です。

Tweet
シェア


 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:伊牟田梨加、梅原美希、川野目明日香、小泉里夏 )
( 記事ID:698 )