米国ジャーナリスト アラン・ネルン氏、プラボウォ氏への“非公開”インタビュー公開の理由(わけ)
2014年07月02日付 Kompas 紙
アラン・ネルン氏
ジャカルタ、kompas.com配信
米国人ジャーナリストのアラン・ネルン氏は、2001年に行ったプラボウォ・スビアント元陸軍戦略予備軍司令部中将との非公開の会話をここに至って公開した理由について発言した[注1]。アラン氏によれば自身の行為は確かにジャーナリズム倫理規定を侵すものであった。しかしながら、それをあえて行ったのは、より大きな必要性、すなわち、今や大統領候補として躍進しつつあるプラボウォが作り上げているイメージによって完全に盲目になっているインドネシアの人びとのためであったと、同氏は理由を述べた
「民間人を虐待、殺害した歴史上もっとも邪悪な将校を挙げるとしたら、それこそがプラボウォ氏である。プラボウォ氏は最悪な記録を持った将校である。これは大変に深刻なことだ。インドネシア国民は私の持つこの情報に対してアクセスできるようでなければならない」と、アラン氏は7月1日の夜、ジャカルタでのある討論会で述べた。
アラン氏によれば、自身のジャーナリズム倫理規定に対する違反行為は、プラボウォ氏が大統領に選出された場合にインドネシア社会が受けるであろう影響に比べれば、さほど大きなことなどではないという。
同氏によれば、インタビューにおいてプラボウォ氏は、自身は民主主義制度など信じない陸軍将校であったと、詳細に話したという。
「それどころかプラボウォ氏は、インドネシアには依然として食人行為や暴徒が多く存在するため民主主義への準備が整っていないとまで語った。プラボウォ氏は民衆をうまく手なずける独裁政権を望んでいるのだ」とアラン氏は語った。
アラン氏によると、プラボウォ氏はさらに、軍部によって民間の血が流されることを容認していたという。これはサンタクルス大量虐殺事件[注2] が示している。アラン氏の個人ブログにアップロードされた記事の中で、プラボウォ氏は、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ氏のような独裁的指導者と自身を並べて語ったという。アラン氏は、プラボウォ氏のような将校が他にも未だ多く存在することを認識している。アラン氏によると、ウィドド陣営には重大な人権侵害に関与している2名、すなわちヘンドロプリヨノ氏とウィラント氏がいるという
「両者とも邪悪だ、民間人を殺すなんて。しかし選択肢を挙げるなら、“ジョコウィ”は民間人を殺した将校に支持されているということであって、一方プラボウォは、民間人を殺した将校自身であるということだ」とアラン氏は語った。
「私がやったことがジャーナリズム慣行において重大な違反であることには違いはない。しかしこれは例外だ。私はこの情報を握っており、またインドネシア国民にはこの情報を知る権利があると感じた」と同氏は述べた。
アラン氏はグアテマラ、ハイチ、東ティモールなど、世界各地で基本的人権侵害の事件を多く取材した調査ジャーナリストである。スハルト時代には、同氏はその数々のレポートによって、インドネシアにとって脅威とみなされていた。
2001年6、7月に、アラン氏はインドネシア国軍による民間人殺害事件に関する調査を行った。その調査こそが、すでに軍役から退いていたプラボウォ氏と、アラン氏は引き合わせることになった。
アラン氏は、そのインタビューでプラボウォ氏はスハルト政権による新秩序体制期[注3]に起こった民間人殺害事件ひとつひとつに対して詳細に言明したがらなかったことを認めた。しかしながらプラボウォ氏はかえってアラン氏に対し、ファシズムや軍事的ことがらに関する自らの考えについて熱を込めて語ったという。
*注1. アラン・ネルン氏の個人ブログ:http://www.allannairn.org/2014_06_22_archive.html
*注2.1991年12月、インドネシア支配下の東ティモールで、独立を求めるデモ行進を行っていた市民に対して国軍が無差別に発砲。大量の死傷者を出した。
*注3. 66年に実権を掌握したスハルト元大統領が「秩序と安定」をスローガンに開発独裁を進めた政治体制。
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( 翻訳者:千田りんご )
( 記事ID:904 )