7月26日、中部ジャワ州ソロのノトハルジョ中古品市場でベースギターを試すジョコ・ウィドド次期大統領
ソロ、KOMPAS.COM配信
ジョコ・ウィドド次期大統領が中部ジャワ州ソロ市長だった2006年に実施した、数百の露天商をソロ市のバンジャルサリからノトハルジョへと移転する政策は、ジョコ氏に対する反発を招くきっかけとなった。しかし、時と共に、その計画こそがジョコ氏を「愛すべき者」にした。
ノトハルジョ市場を7月26日に「電撃訪問」し、ノスタルジアに浸っていたジョコ氏に数百の露天商が群がった。彼らは、現在はジャカルタ特別州知事となったジョコ氏に話かけ、握手を求め、一緒に写真を撮ろうと誘っただけでなく、抱きつくありさまだった。だが、この露天商たちは、かつてバンジャルサリの道路端からこの市場に移転させられるまではジョコ氏を敵視していたのだ。この日の再会からジョコ氏は8年前のことを思い起こした。
「以前、あちこちの路上にいたころの彼らは、貧しく不衛生だった。移転させられるということに、彼らは抵抗した。彼らは竹槍まで持って来て、落書きやらなんやらで抵抗したものだ」と、その「電撃訪問」の合間にジョコ氏は思い出を語った。
このような状況に対処するため、ジョコ氏はその露天商たちを裏で牛耳っている元締めたちの勢力地図を作製した。そしてジョコ氏はその露店の元締めたち全員に、一緒に食事をしようと呼びかけた。ジョコ氏は、最低でも54回は彼らと、朝食、昼食、夕食を問わず一緒に食事を取っている。
はじめから中ごろまで、この食事会では移転計画については何も触れられることはなかった。元締めたちや無法な地回りたちは、ジョコ氏が食事会の間は始終、露天商の移転計画について一言も触れないことに戸惑った。ジョコ氏は、54回目の昼食会で移転の話題にようやく触れた。
「どうだい、移転するつもりにはなってくれたよね?」 といった調子で、ジョコ氏はその "ごろつき"連中に尋ねた。
たちまち何人もの地回りたちが抗議した。「そら見ろ、やっぱりこの食事会にはろくでもない魂胆があるんだ」
ジョコ氏はそうした抗議を考慮していないわけではなかった。彼にはすでに特別な戦略があった。露天商たちのために、ジョコ氏はいくつかの支援政策を準備していた。たとえば、新しい販売所での設備の提供や、公共交通機関によるアクセスを開くことで一般市民に新たな販売所の存在を知らせることなどである。その結果、ジョコ氏は彼らを移転させることに成功した。
「彼らを移転させるというときにはお祭り騒ぎをやって盛り上げたんだ。ついに、彼らは売り上げが下がらないという保証と引き換えに移転を受け入れた」とジョコ氏は語った。
民衆を「世話する」
26日、ノトハルジョ市場で偶然にも再会したジョコ・スギハルト氏(50)とジョコ氏は、互いに握り合った手を放そうとしなかった。スギハルト氏は、バンジャルサリの露天商をノトハルジョ市場に移転させることに強く反対していた7つの露天商コミュニティのリーダーを務めていた。
8年の歳月を経て、ジョコというファーストネームを持つ2人の男は予期せぬ再会を果たした。「おや、かつての私のデモ屋じゃないか。あの時はおっかなかった」と、ジョコ氏はスギハルト氏が差し伸べた手を握りながら答えた。
スギハルト氏は、ジョコ氏の移転計画について苛立たしく思っていたのを認めた。同氏によると、露天商移転の構想が生まれて以来、ソロ市行政は新たな場所で露天商らの生活がはるかに向上し、利益をもたらすという保障を与えたことがなかったという。
「あのころ、われわれ露天商の反対運動はもっぱら落書きだった。ありとあらゆる壁に、移転計画反対の落書きをしたものだ」と、スギハルト氏は語った。
では、一体何がいったい何がスギハルトと仲間たちを移転に同意させたのか。「ジョコウィさんの強い忍耐こそが、われわれを移転に同意させた。彼は民衆の面倒をみる人間だ。だから信じたのだ。7か月も経って、われわれはようやく移転したのさ」とスギハルト氏は語った。
スギハルト氏と仲間たちが払った移転という代償は実を結んだ。以前の場所で一日につきたった30万ルピアしか売上を上げられなかった露天商たちは、今や新しい場所では一日につき300万ルピアを売り上げるまでになった。これこそが、スギハルト氏と露店商たちがジョコ氏を熱烈に支持する理由である。
ジョコ氏は中央選挙管理委員会(KPU)に、2014年~19年の次期大統領として確定された。スギハルト氏を含め、かつてジョコ氏に反抗していたソロ市民たちは、今や一挙にジョコ氏の支持に回った。「ジョコウィさんが大統領になった暁には、彼の政策の護衛役はわれわれが引き受けた」と、スギハルト氏は語った。
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( 翻訳者:板井史織 )
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