独立宮殿一番のりの戦車操縦手の誇り
2015年04月19日付 VietnamPlus 紙

 40年前のサイゴン傀儡政権及び傀儡軍体制の最後の瞬間、「いち早く市内の重要な拠点を占領する」という、ホーチミン作戦司令部の特別な任務を実行した「突撃」勢力の先頭部隊の中に、1975年4月30日昼、敵の最後の砦に一番のりした伝説の戦車T54-843の操縦手であるハーナム省出身の解放軍兵士がいた。
 その兵士は、フーリー市リエムチン区メノイ出身のルー・ヴァン・ホアである。
 意気盛んだった頃を思い出し、かつてのルー・ヴァン・ホア戦士は、彼の家族は5人の兄弟がみな入隊を志願し、アメリカとの戦いが最も熾烈だった時に南部の戦場での戦いに参加したと言った。
 1970年、ヴィンフー省にある第一中級機械学校を卒業するや、共産党の「国をあげて行軍し戦火に赴く」という呼びかけに応え、ルー・ヴァン・ホアは、背嚢を肩にかけて出発し、「チュオンソン山脈を縦断して国を救う」部隊に身を投じた。
 3か月の基本訓練のあと、ルー・ヴァン・ホアは機甲科第203戦車連隊に配属された。湧き上がる戦時の雰囲気と熱心さと少し機械の知識があったので、彼は戦車隊の専門的な訓練にすぐに馴染むことができ、その後いち早く知識をものにし、戦車乗員の特別な戦術や技術に熟達した。
 1971年3月、ルー・ヴァン・ホアは、T54-843戦車のブイ・クアン・タン車長(タイビン省出身)と2人の砲手、タイ・バー・ミン(ゲアン省出身)、グエン・ヴァン・キー(トゥエンクアン省出身)とともに、出動命令を受けた。
 ホアは以下のように吐露した。「誰よりも私たちは、幾つかの部隊と共に最も重要な行程に臨んでいる栄誉を得て、深い誇りを感じていた。その行程は、南部解放と祖国統一という、敵に向けての民族全体の願いと力を最高に体現するものであった。
 作戦開始の準備の際、私たち戦車兵は「可動式砲台」と共に、陽が照って風が吹く中を握り飯や野菜・筍とチュオンソン山脈の清水をもって日夜行軍した。徹夜の行軍は休みなく続き、集結地点に着いたら即座に塹壕を掘り、戦車をカモフラージュした。苦労や犠牲は数えきれないが、湧き上がる軍事作戦の雰囲気の前では誰も疲れを感じなかった」
 そして、その作戦の準備に苦労している日々のまさにその最中、ホアは栄誉にも前線にて入党することができた。
 その時、政治・軍事・外交の3つの戦線における我々の重要な勝利により、日に日にアメリカと傀儡政権は敗勢と孤立に追いやられていた。
 1973年1月、ベトナムについてのパリ和平協定が締結された。南北両方の軍民の気勢は沸騰した。戦場にT54の新世代の「戦車」が出現したことは、出撃途上の各軍の戦友たちの心をいっそう高ぶらせた。
 T54-843戦車のホアとブイ・クアン・タン車長と2人の砲手は、敵の頭上に稲光を降り注がすため、出陣の時を今か今かと待っていた。
 そして「軍事作戦開始」という情報が内密に伝えられ、戦車の戦闘員たちはしっかりと抱き合い、言葉にならず、誰もが喜び興奮して待ち望んだ。
 1975年3月20日、機甲科第203戦車連隊は、第2軍団司令部によって強力な突撃機動勢力に編入され、火力を集中させボン山からフーバイ空港(トゥアティエン・フエ省)へ逆方向に攻撃する密令を受けた。
 戦場全体の命令となった方針「電光石火で、大胆不敵、不意を打ち、必勝する」をもって、勇敢な「鉄の象」T54の戦士たちは、鬱蒼としたジャングルから砲身を伸ばして炎を放ち、敵の頑強な火力拠点を粉砕し、歩兵軍が押し寄せて戦場を制圧できるように有効的に支援した。
 1975年3月26日、ルー・ヴァン・ホア戦士が操縦するT54-843戦車は、トゥアン・アン河口に姿を現した。そこから国道1号線沿いに行軍して敵を追撃し、ダナンと中南部各省に進攻して解放し、各軍と共にサイゴンの周囲を「炎のベルト」でしっかりと封鎖した。
 ホア氏はまだ鮮明に覚えている。1975年4月29日の午前3時に、ブオン橋(ビエンホア)において第203機甲連隊が、タンヒエップ三叉路、ビエンホア高速道路、サイゴン橋といった敵の重要目標に、火力を集中させ直撃する命令を受けたことを。
 1975年4月30日の9時30分になると、T54-843はティゲー橋に接近し、ブイ・クアン・タン車長は、頑なに、気が狂ったように反撃し解放軍の進撃を食い止めようとしていた敵の戦車と火力拠点を、砲身を下げて殲滅させる命令を出した。
 ティゲー橋を通り過ぎて、T54-843戦車は勇ましくサイゴンの大通りを走行した。通りの両脇の革命的大衆は手を振って挨拶し、解放軍が重要な目的地へ進むのを導いた。
 1975年4月30日の昼11時ちょうど、独立宮殿(現・統一会堂)が彼らの目の前に現れた。戦場の煙火で黒ずんだT54-843戦車はうなりをあげ、戦車団と共に独立宮殿の庭の中に進み、そのたった数分後には、ブイ・クアン・タン車長・中尉が持っていた解放旗が独立宮殿の屋上ではためき、「われわれの完全勝利である」という神聖で輝かしい歴史の瞬間を知らせた。
 直接に戦闘し、最後の巣窟に進攻した部隊におり、傀儡政権の完全な崩壊を目撃した人間として、その歴史的瞬間についての感慨を打ち明けて、ホア氏は次のように語った。「その時の私たちみんなの気持ちを言い表すことはできません。それは各軍の電光石火の突然の出来事であり、勝利の偉大さへの誇りであり、各地の戦線やサイゴン入り口での数十万人の同胞・戦友の犠牲への思いでした。
 そしてなによりも、敬愛するホーおじさんが願い、いつも待ち望んでいた、南ベトナムの解放とベトナムの統一という目標のために、1975年の歴史的な春の大勝利はまさにわが民族全体の無双の力と熱い願望を結晶させたものであることを、深く実感する機会を私たちはもう一度持ったのです」
 40年が経ち、かつてのT54-843の操縦手である戦士ルー・ヴァン・ホアは、現在は年をとり、幸せで暖かい家族の父となっている。生活にはまだ多くの混乱や心配が伴うが、ルー・ヴァン・ホアは、簡素で親しみやすいというホーおじさんの部隊の兵士としての品格を常に堅持している。ルー・ヴァン・ホアにとって、もっとも貴重な褒賞はまさに同志・戦友の信頼と愛であり、近所の人々の敬意・心遣いである。そしてなによりも、二人の娘の平安と成長である。

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( 翻訳者:小池優佳、高木陽奈子、塙真知恵、渡辺杏里 )
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