アンザン省:ポル・ポト軍による3000人以上の虐殺被害者を合同供養する
2015年05月04日付 VietnamPlus 紙

 5月3日・4日の二日間にわたり、カンボジア国境のアンザン省チトン県バーチュック町において、1978年の西南国境戦争でポル・ポト─イエン・サリによって虐殺されたバーチュック町の無辜の民3157人の合同法事がおごそかに執り行われた。
 今年の法事は寺院によって供養が行なわれ、その後、被害者の各家族は前日式の5月3日と当日式の4日に自宅において一斉に法事を催した。
 亡くなられた無辜の人々に対する党・国家・アンザン人民の責任と気持ちを示し、アンザン省は西南国境戦争が終結するとすぐに、バーチュック墓地を建設した。
 この場所は、ポル・ポト─イエン・サリがバーチュック町に押し寄せ、1978年4月18日~29日のたった12日間で町の無辜の民間人3157人をむごたらしく殺害した時の皆殺しの罪悪の証跡をとどめている。
 戦争が終結した時、若干の遺骨は身内の人によって家に持ち帰られ、埋葬された。現在、まだ1159柱が墓地に保管されている。そのうち1017柱は年齢と性別が確認されている。
 毎年、陰暦の3月15・16日の二日間、アンザン省は被害者のために心温まる合同法事を執り行っている。1980年7月10日、かつての文化情報省は決定92号を出し、バーチュック墓地を国家級歴史遺跡とした。
 2011年、同省は、バーチュック人民が虐殺されたフィーライ寺とタムブウ寺の二つの寺の間の5ヘクタールの土地にバーチュック墓地歴史遺跡区を正式に起工するため、虐殺された遺骨1159柱を一時的にフィーライ寺に移した。
 工事は中央と地方の経費による総投資額300億ドンが投じられ、2期に分けられた。第1期は2011~2015年。第2期は2018年までで、ポル・ポト─イエン・サリがバーチュック人民を虐殺した40周年に完成させる。
 遺跡区は、広さ500㎡の中心墓地区や写真・実物の証跡展示館などの多数の施設を含んでいる。
 現在、墓地区は第1期で完成している。今年の法事に際して、アンザン省は人々がお詣りできるように、フィーライ寺から1159柱を移した。

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( 翻訳者:今井昭夫 )
( 記事ID:1427 )