最貧の地域で貧困地帯のリストからの除外を望む背景とは
2015年05月11日付 VietnamPlus 紙
わずか数年前、ポン村は麻薬、HIV感染者数および貧困世帯の割合(村の大多数を占める)といった悪弊で有名な場所であった。この村に住む住民の多くは、労働生産活動に積極的ではなく、主に政府や企業のプログラムからの援助に頼って生活していた。
しかし、ここ2年で、全国で最も貧しい県の中の最も貧しい場所と見なされてきたタインホア省ムオンラット県ポン村で、「新しい顔」が生まれている。
ムオンラット県人民委員会のカオ・ヴァン・クオン委員長は、「貧困から脱するため自ら立ち上がり生産活動をすることについての同胞の意識は大きく変わった。以前のように援助や食糧支援に依存するのではなく、しっかりと生計をたてるべく、たくさんの同胞が栽培、飼育、植林などに打ち込んでいる」と述べている。
「ポン村の稲の生産効率は、同胞が引き続き新しい栽培モデルを上手く取り入れてくれたおかげで、常に県内トップに位置している」と県人民委員長は付け加える。
ポン村の変化のほかに、2013年と2014年末にムオンラット県の多くのモン族家族が、貧困世帯のリストから除外するよう申請した。
人々が貧困者に向けた政府の援助プログラムに「ノー」と言っているのは、生計を立てることについての考え方の変化の表れである。
「現状に甘んじることなく、まさに自らの力で貧困を脱しなければならないということを、ほかの人々もこの典型的な手本から学ぶことができるだろう」とクオン委員長は述べている。
山岳地域の貧しい県の指導者は、こうした活動を広めることのほか、人々が貧困から確実に脱するための新しい援助のやり方も重要なファクターであると付言した。
以前、物資の援助のせいで、多くの同胞がこれに依存するようになり、自ら活動することが少なくなったので、貧困は悪循環に陥ってしまった。軍隊通信グループ(Viettel)の貧困撲滅活動の開始以来、すべてが変わった。
「彼らは、藁や竹の葉でできた家を一掃する支援をし、同胞が安心して生計を立てられるために頑丈で安定した家に住めるよう手助けした。その一方で、彼らは苗や種子の供給を耕作技術や生産モデルの普及とともに行ない、同胞が米や肉を待つのではなく、生計を立てられるよう手助けした。まさにこれが貧困者にとっての生きていく術である」とクオン委員長は語った。
また、Viettelは、特に貧しい世帯に重要な生計の糧となる繁殖牛を与えた。この貧困地域では、1,000万ドン以上の価値がある一頭の牛は大きな家財であり、貴重な生計の糧でもある。
「2年前にViettelが貧しい人々に与えた等級の高い牛は繁殖し、貧しい人々が恩恵を受ける良い効果をもたらし始めた。これは本当に格別なものである」とムオンラット県の長は明らかにした。
そして、社会プログラムに関する有名なグループ(訳注:Viettelのことを指す)は、住民と子供たちの健康サービスと学習環境を改善するため、貧困学生に数10億ドン相当の奨学金プログラムの提供、村の診療所の建設、救急車の購入などの活動を行っている。
県下の貧困撲滅活動の顕著な成果を示したうえで、クオン委員長は「新しい生活の術により、ムオンラット県の貧しい人々が変化し、彼らに対し、より確固とした将来が提供された」と述べた。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:奥山貴子、高見彩華 )
( 記事ID:1487 )