マンダレー 4月27日*
大作家のメーミョウチッスエは、4月29日にピンウールウィン市第3地区、アウンゼーヤー通りとホーコウン通りの角、38番地にて、老衰により亡くなり、5月1日にシッマイン墓地で荼毘に付されることを、同氏の娘が明らかにした。氏は84歳、娘1人と孫4人が残された。
「たくさんの著作を残せるベテランジャーナリストの1人であった。アウンサン将軍に関する事柄を多く書き、これから出版しようとしていた本もまだまだあったとのことだ。」と、大作家メーミョウチッスエの同時代の文学者仲間でジャーナリストのナッマウトゥンシェインが言った。
大作家メーミョウチッスエの死は、文学界とジャーナリズムの世界にとってひとつの損失であると、ナッマウトゥンシェインは述べた。
文学の先駆者の一人であり、当時の出来事を知る人物でもあった。また新しい世代の文学者を生み出すことのできた人である事、歴史事実と関わる作品を多く書き、アウンサン将軍の事柄を余す所無く書いた人物である事を、メーミョウチッスエと親交のあったピンウールウィン市出身の74歳の作家マウンチードー(コーリン)が話した。
「先生が亡くなってしまって、黄金の大山が崩れてしまったように感じる」と同氏は話した。
メーミョウチッスエの著作の中で有名なものには、『ボージョーアウンサンの独立闘争、月ごとの記録』(1950)、『ピンウールインの歴史的出来事』(2008)、『ミャンマー生まれのゴルカー(グルカ)人』などがある。
大作家メーミョウチッスエは、ウー・リン、ドー・ポワーシンら両親のもとに生まれ、文学の殿堂文学賞、トゥン財団文学賞などを受賞、上ビルマジャーナリスト協会、ピンウールウィン市作家協会の名誉顧問としても活動していた。
*数字は原文のまま。
( 翻訳者:馬場愛 )
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