ある退役軍人が退職金でホーおじさんを祭る廟を建てる
2017年05月19日付 VietnamPlus 紙
家の敷地内のホーおじさん廟で線香をあげるソン氏
キエンザン省ラックザー市ヴィンヒエップ坊ヴィンヴィエン街区に行けば、退役軍人チャン・タイン・ソン(78歳)の家を見つけるのに、そう時間はかからない。なぜならその家に入る通路に、ソン氏は一方には「ホー・チ・ミン主席の恩を永遠に忘れない」と記した額を、もう一方には後の世代にいつも民族の敬愛すべき老父を思い出させるかのような「各世代は偉大なるホー・チ・ミン主席の道徳的模範に従って学び実践する」と記した額を、厳かに掲げているからだ。
チャン・タイン・ソン氏は、ラックザー市近郊のフィートン社で生まれ育った。他の青年たちと同様に、1960年、氏は革命に参加し地方部隊と共に敵と戦った。
ソン氏曰く、革命に参加した人生で最も面白かったのは、敵に見つかって追われた時、S字状に走り、疲れたので横になったふりをして土を投げつけたところ、敵が手榴弾だと思って立ち止まり、漸くそこから逃げ出したことだという。
またソン氏の妻ファム・ティ・スィウ(76歳)は、1958年から革命に参加し、かつて6回敵に捕らえられ投獄された。そのため、複数回の敵による拷問の後遺症で病に倒れ、ここ1年以上寝たきりになり、話もできない。
ソン氏によると、以前抗戦中、ラックザー町近郊の党幹事委員会書記など、彼は多くの役職を歴任した。1975年以降も引き続き(革命)工作に参加し、ヴィンヒエップ坊およびアンホア坊の党委書記、またラックザー町農業・水利室長、ラックザー市農民会主席などの職に就いた。氏の妻もヴィンヒエップ坊党委書記や、ラックザー市婦女連合会主席を歴任した。退職する前、氏はラックザー市労働傷病兵社会室長を務めていた。
2015年、首都ハノイを訪れ、経営の巧みな高齢者を表彰する会議に参加し、その後ホー・チ・ミン廟やホーおじさんの家に行ったことで、氏は一層、家の敷地内にホー・チ・ミンを祭る高床家屋を作りたいと思うようになった。
即断即決で2015年に退職金と家庭菜園からの蓄えで、氏は1億ドン近くを費やし、高床式の家屋を建てた。周囲にはコンクリート柱を建て、一階の床は化粧タイル、二階は板を敷き、屋根はトタンで葺き、36平方メートルの面積を有していた。家の中ではホーおじさんの像が木製の祭壇の上に置かれ、隣にはヴォー・グエン・ザップ将軍や民族の英雄グエン・チュン・チュック(訳注:阮忠直、19世紀後半の南部における抗仏運動の指導者)の肖像が、後方にはベトナムの共産党旗および国旗が飾られている。
ソン氏は、今の世代が民族の長きにわたった抵抗の時代を思い出せるよう、廟に陳列するための、1975年のラックザーにおける各指導者の肖像や、秘密地下道の蓋、ステークマイン、バンブーマイン、解放見取図といったいくつかの戦時中の用具を収集しているという。
ソン氏によって建てられたホーおじさんの廟は、氏の家の果樹園にある。果樹園において、氏はココナッツ・パイナップルやパパイヤ、ザボンなど多くの種類の果樹を栽培している。ホーおじさんの廟のそばに、氏は養魚池を掘り、蓮を植えた。民族の敬愛すべき指導者を尊敬の念を満たすため、ホーおじさんが生前仕事場としていた場所の一つを再建したいという思いからである。
ソン氏が言うには、地方当局がここにホーおじさんの廟があることを知ると、南部解放・祖国統一42周年記念の際、地方当局幹部や退職した役人、青年団員を含んだおよそ60人が線香をあげに訪れ、ホーおじさんについて懇談した。
今年、ホーおじさんの誕生日である5月19日に、焼香の儀式の他、地元の生徒たちがホー・チ・ミン主席に関してより理解できるよう、地方当局はソン氏の家族と共にホーおじさんの生涯や偉業について話す機会を設けた。
廟以外にも、ソン氏は幅1.5メートル、長さ200メートル以上にわたって廟につながる道路へセメントを打ち、線香をあげに訪れる人々と後の世代の便宜をはかった。
ヴィンヴィエン街区党支部書記のチャック・ミン・ベー曰く、78歳にしてソン氏はいつも模範的党員である。氏は常に新しいやり方で効果的に経済を発展させてきた。ホーおじさんの廟は、民族の敬愛すべき老父の生涯と偉業について後の世代が理解するための幸運の場所となるだろう。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:岩切南 )
( 記事ID:3501 )