(Perspective) 深慮、批判、分析、修正が必要となっている電気通信法第66条(D) (2017年6月5日 13-14)
2017年06月05日付 The Voice 紙

 この数日間は精神的なダメージが大きく記事を書くことにさえ集中できなかった。(本紙)編集長コー•チョーミンスウェと記者ブリティッシュ・コーコーマウンら2名が国軍側から電気通信法第66条(D)により告訴されたというニュースを最初に耳にして以来、彼ら2名に対し胸に動悸を覚えるほど心配していたところ、最後には本当に拘束されてしまった。
 実際は判決が下される段階にまだ達しておらず告訴が受理されたという段階にしか達していないにもかかわらず、強力な同法律規定に基づき、判決が出ないうちに処罰されるのと同様の形で拘束、留置されている。
 その人物らは一般の国民を危険にさらし、迷惑をかけている悪人、強盗や窃盗犯ではない。国民の命を失わせようとした人でもない。多くの国民に良い結果をもたらす道筋を真っ直ぐに示している、国家における4つ目の柱として責務を担っているメディア関係者というだけだ。人としての誇りを十分に持ち、人々の利益となることを追求している人物である。そのような人達を、判決が下る前に拘束しておくのは人の尊厳と人権の点から見ると非常に厳しく見るに堪えない。特に、民主主義政府だと言われている、選挙で選出された文民政権になってからこのような事態を目にするのはとても悲しい。
 電気通信法第66条(D)に関して(誰が誰に対してであっても)どんな告訴や事件化の類も支持できない。この法律の条文は人権を侵害している厳しい条文である。この法律は前政権下の議会で制定したものであるが、現政権に至るまで修正されることなく適用されていることに驚いている。公的な記録に基づくと前政権下での同法律による事件化は7件のみであったが現政権下においては67件にまで及んでいるということが分かった。
疑問なのは憲法第8章354条(A)にある、全ての国民には信念や意見を自由に表現する権利、書物にして配布する権利があるという基本的な国民の権利を無視しているのではないかということだ。
 個人が個人に対して、個人が組織に対して名誉を毀損すること(中傷)については、正式に制定してある法律がある。諸外国では民事事件に該当し関連の裁判所で双方が主張をし合い、罪になるならば処罰される。しかしながら刑事事件のひとつとしては厳格に定められていない。そこには以前からずっと存在してきた法律がある。(刑法)第500条だ。
 我々の社会の基本的権利を脅かそうとしている電気通信法第66条(D)に関して下院はどのように認識し、どのように考えているのか。下院議長の見解を見ていこう。(訳者注:文末注1参照)
 「第66条(D)は我々が規定したのではない。第1期連邦議会において規定されたのだ。第1期連邦議会において規定されたというのは、細かく言えば、第66条(D)に関して最初に存在していたのは現在の刑法第500条である。それは、ある人が他人に対して名誉を傷つけるよう中傷する、または相手の尊厳にふさわしくない形で中傷するために、名誉を毀損するために、文書によってであろうと、画像によってであろうと、記号によってであろうと、言葉によってであろうと、中傷や名誉棄損を行った場合、その人に最長2年の投獄刑という判決を下してもいいし、罰金を課してもいい。罰金と投獄刑を組み合わせてもいい。
 最長2年と言っても2年の判決を下さなければならないとは言っていない。それは裁判官の判断である。ある人が法律を犯した度合いに対する処罰の大小はその裁判官の判断である。それが刑法第500条だ。よいだろう。第66条(D)以前に電子取引法というのがあった。電子取引法第34条(D)である。その第34条(D)にも、いずれかの電子技術や電子機器で(訳者注:実際の法律条文では、「いずれかの電子技術で」という記載のみ)中傷や名誉棄損を行なった場合、元の法律では5年の投獄刑、もう1つは我々が連邦議会の第1期において互いに協議し、議論したのち、50万チャット以上500万チャット以下の罰金刑に変更した(訳者注:文末注2参照)。その電子取引法のあとに電気通信法が追加された。その電気通信法も現在の第2期連邦議会で規定されたものではなく、第1期連邦議会で規定された。
 現在、第66条(D)が登場した際には、メディアもそれについて話している。書いている。私の所にも一部の大使4、5名、それから人権組織などが(話をしに来た)ね。
 専門家の女性らも同じように議論しに来ている。議論すると、法律の性質は公平でなければならない。ある人には発言権がないのではない。あるのだ。その人が述べたことはその人が責任を持たなければならない。どのように責任を持たなければならないのか。
 ある人には証拠があり、正しいことを述べており、その通りであることを述べている場合、その人は罪を免れる権利が得られる。そうではなくその人には証拠もない、他人に対し憎しみを持って名誉を毀損するためこのような(名誉棄損にあたる)ことを述べているという場合、それを告訴してはいけないというならそれはもはや法律ではない。相手側(言われた側)も法律に基づいて、(言った側に)権利を行使する機会を与えなければならない。法律による保護をその人に与えなければならない。その人には一方では発言権があるように、もう一方では法律によって保護される権利がある。発言権があり、証拠がある(場合だ)。そうではなく他人に対しあなたはいつも悪く言われる側だ、私はあなたに対し発言する側だと言うのであればそれはどんな公正さがあるというのか。それが一点。
 もう一点は、もしそうだとしたら社会はどのようにして安定するのだろう。法律の効力がない場合(訳者注:一方的な名誉棄損が可能な状態である場合)、社会はどのようにして安定するのだろう。ある人はこう言い、ある組織とある組織、あの地区とこの地区が好きなように言い、あの組織がこの組織のことを言い、というように言いたいことを言うのなら社会は安定しないだろう。
そうしたら法律のない無政府状態になってしまうだろう。法律が効力を持たないという時に、現在は発言権がないということはない。発言権はある。自由に意見を述べ考える権利、意見を表明する権利と言うことについて、我々のうち一部の人たちは理解がずれている。
 自由に発言し、考える権利というのを、自由に批判し攻撃する権利、自由に罵倒する権利、自由に中傷、侮辱する権利と間違えている。
 現在起きている問題は、自由に批判し中傷している人物らは、そのことに対し(電気通信法第66条(D)を)適用外としなければならないと言っている。一方だけが偏った批判、中傷を受けねばならないのであれば、それは法律ではない。これが一点。
 さらにもう一点は、一部の人(訳者注:66条(D)を受け入れるという人々)が言っている。それは法律分野に関することなので、より説明しなければ理解できないだろうということだ。一部の人は(訳者注:550条を用いるべきと)言っているが、そうではない。そうであれば私が今述べたように(刑法)第500条に基づいて2年の懲役もしくは罰金だ、という風にやったらどうか、と。
(第500条を適用したらどうかと)言う時に、あの第500条によると、口頭で言えば、ということである。(つまり)今ここで言えばこの人くらいしか知らないだろう、喫茶店で言えばせいぜい喫茶店においてのみ知れ渡るだろう、この近所、この村の中で言えばそこでのみ知れ渡るだろう。
この第66条(D)はこのようではない。誰かがオンラインに掲載する時、この場所においてのみ知れ渡るのではない。このとき、第500条は懲役2年、この法は3年なのである。多いわけがあろうか、1年しか違わない。
しかし原因(訳者注:オンラインに掲載すること)と結果(全国に知れ渡ること)が与える印象はほんの少しではない。この地域とこの社会だけが知っているのではない。国内外全てに広まり、防ぐこともできない、このようであるのだ。
こういう時に人々は言う。2年に減らしますか、と。原因と結果は同じでない。効果も違う。この3年というものも法律的に言うとすると、規定してあるのだ。法律が3年と定めたので3年の(投獄)刑を下してもよいし、6か月でもよい。1ヶ月でもよいし、1週間でもよい。これは裁判長の判断に基づいているのだ。法律は最高刑を定めているのだ。
それと同様に一部の人は、3年なので保釈が認められないと言う。保釈は認められなかった。保釈は、裁判長の判断によって認められるなら、当然保釈される。全く認めてはならないというものではない。人々は法律を明確に理解していない。
はっきりしないまま書いたり述べたりしているため問題が複雑になっている。私が説明しよう。裁判長が判断して、このケースは女性だから、子供だから、年を取っているから、健康状況がよくないから、などの理由で保釈を認めることは可能である。
殺人でさえも保釈が認められ得る。このような状況にある。この状況にある場合、現在外で起きているような流れの通りに言うのであれば、またメディアがこうなってほしいと考えている通りに言うのであれば、彼らは彼らの書きたいように書く、言いたいことを言う、そして(そうしたことを)言われた人はそれを受け止めよ、と言うのならば、彼ら(訳者注:メディア等)は法律の(表現の)自由を十分享受している。書かれたり言われたりした側の人はそれを受け止めよ、という場合は、我々がそれを公正になるよう調整しなければならない。法律という本来の意味に基づくのであれば、公正さがなければならない。法律というものは天秤の指針なのだ。
どちらかに傾いてはならない。つまり一方の人が言うのと同じように、もう一方の言われた人に対しても法律に基づく保護を与えなければならない。そうでなければ殺人が起きてしまうかもしれない。乱闘が起きてしまうかもしれない。不安定な状況になってしまうかもしれない。
不安定になり国家機関が崩壊する。国家機関が崩壊したらどうなるだろうか。民主主義が獲得できるだろうか。我々はよく考えなければならない。助言するというのはただ助言するだけなのだ。国会では今日まで、どの議員からも、どの委員会からも、どの政府組織からもそれ(訳者注:電気通信法第66条(D)の修正)を提出されてはいない。」(電気通信法第66条(D)に関する下院議長ウー•ウィンミンのインタビュー引用)
下院議長の見解は法律に沿っていると言えるが、罪に対して告訴する部分においては、ある国民の名誉をひどく傷付けている点を議会として再度考え検討しなければならないことだと思う。警察が権限を持つ法律規定において、犯罪行為が認められると裁判所が決定を下す前に身柄を拘束することは国家のイメージ、政府のイメージを低下させ、醜く映ってしまう。民主主義と人権の保障に反する段階に至っている。
編集長コー•チョーミンスウェと記者ブリティッシュ・コーコーマウンらの今回の件に対する、情報省の前大臣ウー•イェートゥッの見解も興味深い。
「ジャーナル内の記事に関して報道機関を(電気通信法)第66条で訴えるべきでないと私が書いた際、どうしてかと意見を求めに来きた人達がたくさんいました。そのため私の考えを理解してもらえるよう説明したいと思います。それは法律を定義することではありません。基本原則を決める1人として任期中にどうして第66条を使用しないよう決定したかという考えを説明するのです。
1. 報道機関を訴えてはいけないとは言わない。人は誰でも、組織はどこであっても、名誉を守るため法律の保護を受ける権利はあります。私自身もメディア法でダトーズィン(訳者注:週刊ジャーナルの名前。英語名はThe Myanmar Herald)を、名誉毀損でイレブン(訳者注:日刊紙、週刊ジャーナル等を扱うイレブンメディアグループ)を告訴しました。
2. 新聞、ジャーナルに書いてあるものは印刷媒体上に記されているのです。ジャーナルに書かれている記事をオンラインに掲載するというのは印刷出版法において出版する許可が得られたときにオンラインに掲載する許可を得られるため、二次作用として派生した行為となります。フェイスブックに書かれているようにオンラインでのみ掲載しているのではありません。だからジャーナル内の記事に関しては、メディア法あるいは名誉毀損によってのみ告訴すべきだと私は考えているのです。
3. 最後の点は最も重要です。我々が法律の保護を得る目的は、自身の名誉を傷付けようとしたと見なされた人に対し、法律に基づきふさわしい処罰を受けさせるためなのです。その人を「英雄にするため行うのではありません。」批判、思慮、分析できるように、です」(ウー•イェートゥッのフェイスブックページより)

チッウィンマウン (2017.6.4)

注1:このあとの下院議長の見解は、議長が話をした通りに掲載しているので、理解しやすいよう訳者注として語彙を補ってあるが、意味がとりにくい箇所が一部残っている。
注2:2004年制定時の電子取引法第34条(D)には、「5年以下の投獄、あるいは罰金、あるいはその両方に処する」とあり、2014年の同法改正法においては、第34条(D)のこの規定を「500万チャット以上1000万チャット以下の罰金に処し、罰金を納めない場合は1年以上3年以下の投獄刑に処する」と改正する、とされている。

Tweet
シェア


 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:金子愛 )
( 記事ID:3539 )