首相:クアンナム省とダナン市の分離は正しかった
2017年10月21日付 VietnamPlus 紙
セレモニーでスピーチするグエン・スアン・フック首相(写真:ヴァン・ソン/ベトナム通信社)
10月21日、クアンダー特別区党支部設立50周年記念式典が、ダナン市党支部およびクアンナム省党支部により、ダナン市のチュンヴオン劇場で開催された。
式典に出席しスピーチしたグエン・スアン・フック首相は、ダナン市とクアンナム省がクアンダー特別区党支部設立50周年記念式典を開催したことに感銘を受けて高く評価し、最近のこの活動及びホンタウ基地におけるクアンダー特別党支部記念区(クアンナム省ズイスエン県)の落成は、抗米救国戦争での革命功労者たちの犠牲、貢献に対する今日の世代の感謝を体現するものだと強調し、南部解放や祖国統一などにおける党の指導の正当性、洞察力を確認した。
首相は、クアンナム省とダナン市は二つの独立した行政単位であることを明言し、またこの二地方における着実な発展を見るに、これらの分離が正しかったと肯定した。
首相は、共に発展するため、両地方の指導者が引き続き手助けし合い連携することを望んだ。現在、辺境や少数民族地域、革命の拠点となった地域などに住む同胞は依然として困難を抱えており、そのため首相は両地方の指導者に、こうした地域に住む同胞の生活が日増しに発展するよう行動を起こすことを要求した。
ダナン市党支部書記のチュオン・クアン・ギア氏は、クアンダー特別区党支部による時宜に合った創造的な指導や指示の過程を次のように振り返り確認した。「クアンダー特別区党支部は、設立されるとすぐに1968年の戊申の年の総攻撃・総蜂起[訳者注:いわゆる「テト攻勢」]へ向けて準備を始めた。「全民総攻撃、全民総蜂起」という決心で、特別区党支部は準備のためにあらゆる勢力を動員するよう集中的に指導した。また、巧みな指導によって、人民が、革命のために労力や財産を差し出したり、その瞬間まで秘密を守ったりするようにはたらきかけた。そして運動を指導するため、状況に精通している堅実な幹部を都市の中心部へ送り込んだ。
そのため、この総攻撃において、クアンダーの軍と民は勇敢にダナンや各地方都市、町にある敵の司令部へ突撃し、敵の多くの精力と戦争兵器を根絶やしにして、地方全体の勝利に貢献した。そして、クアンダー特別区党支部の役割は、特に1975年春の攻撃・蜂起を指導し、ダナン市を解放に導いたことで明確に体現された。
チャンスを掴んで主体的に動き、「散り散りになり個々で殲滅せよ」、「県は県を解放し、社は社を解放する」といった創造的な方針を電光石火の攻撃の精神で実現することにより、クアンダー特別区党支部は区内の人民を指導し故郷を解放へ導いた」。
クアンナム省党支部書記兼人民評議会議長のグエン・ゴック・クアン氏は、50年の歴史の実際を振り返り、「クアンダー特別区党支部を創立させた第五軍区党支部と党中央の正当性と創造性を証明しており、抗米救国戦争における南部の戦局に対する戦略の位置づけやクアンダー地域の重要性を正しく分析したことが示されている」とした。
自身がもつ革命の精神と知的な指導によって、クアンダー特別区党支部はクアンダーにおける革命を先導し、次々と勝利の戦功を書き記していった。クアンダー特別区党支部の誕生や指導過程に関する実績から、「人民はすべての起源」であり、民心のパワーを発揮するという思想や、団結・統一という概念、また創造の精神や、恐れずに考え、行動し、責任を負い、党支部のトップに立つ者の役割を最大限発揮するという精神、「忠誠を保ち勇敢に、断固として先頭を行きアメリカを滅ぼす」とする、故郷における革命の英雄主義を発揮するという精神についての貴重な教訓が残された。それらの教訓は、祖国であるベトナム社会主義共和国の建設防衛事業において、今でもそのまま通用するものである。
[訳者注:「党」とは50年前にクアンダー特別区党支部が設立された当時はインドシナ共産党の後身のベトナム労働党、そして、その後1976年にベトナム共産党と改称され現在に至るベトナム共産党を指す。]
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( 翻訳者:岩切南 )
( 記事ID:3914 )