憲法裁判所が判断:国家には信仰を奉じる者の権利を保護し保障する義務あり
2017年11月07日付 Kompas 紙
中央ジャカルタ市の憲法裁判所の建物(10月10日、ファフリ・ファフルディン撮影)
憲法裁判所は、宗教あるいは唯一神に対する信仰を奉じる権利は国民の憲法上の権利であり、国家によって与えられるものではないことを確認した。
したがって、国家には、6つの宗教(注1)の他にインドネシアで発展した信仰を奉じる国民の権利を保護し保障する義務がある。
これは、憲法裁判所判事サルディ・イスラ(Saldi Isra)が11月7日火曜日、中央ジャカルタ市の憲法裁判所内において読み上げた決定の中で述べられた。この決定は、「住民登録に関する2006年法律第23号」第61条第1項と第2項および第64条第1項と第5項(注2)と、これに関連する「住民登録に関する2006年法律第23号改正に関する2013年法律第24号」の見直しを求めるというものである。
サルディによると、1945年憲法第28E条第1項と第2項の規定は(注3)、宗教を奉じる自由もつ権利、および、信仰を奉じる自由をもつ権利を、あらゆる人に憲法として認めるものである。
一方、1945年憲法第29条は、一人一人の国民がそれぞれの宗教および信仰を奉じる自由を保障する役割を国家が果たすべきことを規定している。
さらにまた、サルディによると、宗教を信じるという基本的権利は、唯一神に対する信仰を奉じる権利を含んでおり、市民的および政治的な諸権利として、基本的人権の一部である。
すなわち、宗教を奉じる権利および唯一神に対する信仰を奉じる権利は、自然権という概念に由来する市民的および政治的な諸権利のなかの一つの権利なのである。
「したがって、法に基づく民主義国家、すなわち民主主義的な法治国家の理念においては、国家はまさにこのような諸権利の実現を保護し、尊重し、保障するために作られたのである」とサルディは述べた。
「自然権に由来する基本的権利であるこの権利は、人間であるが故に各人に適用されるのであって、国家によって与えられるものではない」とサルディは述べた。
同じ発表の場で、憲法裁判所判事マリア・ファリダ・インドラティ(Maria Farida Indrati)は、1945年憲法第28E条第1項と第2項の文言を見ると、「宗教」は常に「信仰」と関連して規定されており、宗教は信仰であるとされている、と述べた。
マリアによると、ただ、1945年憲法第28E条第1項と第2項の存在を読み解いてみるならば、「宗教」と「信仰」は二つの異なった事柄であり、同じでものではないと解釈できる可能性がきわめて高い。むろん、両者はいずれも同様に存在が認められているのである。
このような解釈が生じるのは、1945年憲法第28E条第1項と第2項が「宗教」と「信仰」を分けて規定しているからである。
「したがって、「宗教」という用語と「信仰」という用語は、確かに2つの異なった、対等な事柄であると解釈できる」とマリアは述べた。
記者:クリスタン・エルディアント、編集部:サンドロ・ガトラ
訳註1 インドネシアではイスラーム、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教、儒教の6宗教のみ宗教(agama)として公認されている。家族登録証(KK)や住民登録証(KTP)には宗教の欄があり、いずれかを記載することが求められている。このため、インドネシア土着の信仰を奉じる人々から改善の要求が続いていた。
訳註2 第61条は家族登録証(KK)、第64条は住民登録証についての規定である。第64条第5項というのは第64条第2項の誤りと思われる。
訳註3 1945年憲法はインドネシア共和国の現在の憲法である。第28E条では信教の自由を含む個人の権利が規定されており、第29条第2項では、国民各自が自身の宗教(agama)および信仰(kepercayaan)を奉じる自由を国家が保障することが規定されている。宗教と信仰を区別した今回の憲法裁判所の判断は、インドネシア土着の信仰をKTPやKKに記載する道を開くものである。
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( 翻訳者:青山 亨 )
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