韓国のイ・ヨンヒ(李泳禧)教授─ベトナム戦争中のベトナムの友人
2017年12月12日付 VietnamPlus 紙
イ・ヨンヒ教授
イ・ヨンヒ教授

 「韓国のイ・ヨンヒ教授はアメリカの社会活動家ジェーン・フォンダと同様、ベトナムの国や人民の真に親しい友人だといえる。彼らは、戦争期の困難な日々においてベトナムと一心同体となり寄り添うために多くの障害を乗り越えてきた」と越韓友好協会副主席のファム・ティエン・ヴァン氏は座談会「イ・ヨンヒ教授とベトナム」の傍らで語った。
 この座談会は、越韓国交樹立25周年(1992-2017)記念に際して、ハノイで12月11日に開催された。
 
     認識を変えさせた著作

 党の指導の下でのベトナム人民の多大の努力と犠牲とともに、国際社会の熱心な応援・支持・共感が抗米救国抗戦におけるベトナムの勝利に重要な貢献をした」とファム・ティエン・ヴァン氏は強調した。
 越韓友好協会副主席によれば、ベトナム人民の抗米戦争が繰り広げられていた時期、韓国においてイ・ヨンヒ教授はこの戦争についてきわめて多くの新聞記事(『朝鮮日報』に掲載)と論文を執筆した。それらの文章において教授は、ベトナム人民の闘争の正義と、ベトナムを侵略したアメリカの非正義と、軍隊を送り込んで米軍とともに参戦した韓国の誤りを指摘した。
 「イ・ヨンヒ教授の著作は当時の韓国社会に強烈な反応を引き起こした。とりわけ若い読者(学生、生徒)や知識人階層に対して。それは、多くの韓国知識人のベトナム戦争に関する認識を変えさせた著作だと見ることができる」とファム・ティエン・ヴァン氏は指摘した。
 越韓友好協会副主席は、ムン・ジェイン(文在寅)韓国大統領が回顧録『運命』のなかで多くのページをさいて、イ・ヨンヒ教授の著作が彼の世代に与えた影響力について書いている、と述べている。
 具体的には、ムン・ジェイン大統領は次のように書いている。「学生時代に私や多くの友人たちの認識に大きな影響力をもち、批判的意識・社会意識をつくりだした人はまさにイ・ヨンヒ教授であった。私はベトナム戦争についての新聞記事や論文を読んだ時、ショックを受けた。教授は、アメリカは世界の強国であるが、きっとこの戦争で勝利を収めることはできないと認定するために、しっかりとした論を立てていた。教授の話や著作は私たち学生世代によって密かに語り継がれていた」

     重い心情

 座談会に出席していたイ・ミジュンさん(イ・ヨンヒ教授の娘)は、父親の生涯と仕事について思い出すと、熱い想いを押さえることができなかった。彼女の話によれば、アメリカがベトナムで引き起こした戦争に反対する新聞記事や論文を書いている時、イ教授はさまざまな圧力をかけられていた。「私の父の上司はこう言いました。もしあなたが自分の著作での考え方を変えるのに同意すれば、給料を3倍にする、と。しかしながら父は同意しませんでした。買収することができなかったので、彼らは他の圧力をかけてきました。父は新聞社を解雇され、その後、2年間投獄されました」とイ・ミジュンさんは語った。
 そのほかに、彼女はこう付け加えた。生前、イ教授は自分の回顧録のなかで次のように書いていた。「1965年初め、『朝鮮日報』政治班の外交欄担当記者から異動して、私は国際ニュース班の重責を任されることになった。その時から1975年にベトナムで銃声が止む時まで、一日として重い気持ちで眠らない日はなかった。なぜならベトナムで非条理にもあちこちで死に瀕している命のことが念頭にあったからである。その苦しみは心を苛んだ。私が編集したベトナム戦争に関する分析記事が削除されたり、(外部からの圧力によって)内容を修正させられた日々、この苦しみは何倍にも大きくなった」
 「父は、ベトナムと韓国が『過去を棚上げにして、未来に向かう』精神で外交関係を樹立した時、大喜びしました。父は言っていました。自分は意義ある人生を生き、事実と向かい合い、文筆者の良心の声を語り、なしたことは記録に残った」とイ・ミジュンさんは語った。
 イ・ヨンヒ教授は1929年12月2日生まれで、2010年12月5日に亡くなった。「1975年以後、教授は何度もベトナムを訪れ、ホー・チ・ミン廟に参詣している。過去を振り返ることは、ベトナム─韓国間の現在の多くの面における協力の成果を否定するためではなく、後の世代が歴史についてより明確に理解し、歴史に対して公平な認識をもち、困難な戦争の月日におけるベトナムの真の友人に対する恩を知るためである」と越韓友好協会副主席のファム・ティエン・ヴァン氏は強調した。

[訳注:イ・ヨンヒ氏は、1975年当時、漢陽大学文理科学科助教授]

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( 翻訳者:メディア翻訳ベトナム語班 )
( 記事ID:4070 )