ベトナム漆絵を創造した先駆的画家、グエン・ザー・チー
2018年06月20日付 VietnamPlus 紙
グエン・ザー・チーの有名な作品「芙蓉の木のそばの少女」
6月20日、ハノイで、ベトナム美術協会が画家グエン・ザー・チー生誕110年を記念したイベントを行なった。これは芸術文学に関するホーチミン賞を受賞した造形芸術家を称えるために、その芸術家の偶数年の誕生日を記念して行われる活動である。
グエン・ザー・チーはハノイのチュンミ-県チュンイェン社で1908年に生まれた。彼は第4期インドシナ美術高等学校絵画学科(1928~1933)で学んだが、途中で休学した後、引き続き学んだため、画家チャン・ヴァン・カンとともに第7期(1931~1936)に卒業した。彼は1993年、ホーチミン市で亡くなった。85歳だった。
グエン・ザー・チーはベトナム漆絵を描いた第一人者で、有名なイラストや風刺画も描く画家だった。1939年に彼は初めて漆絵の個展を開き、独自の技術で創作した漆絵作品を展示し、ハノイの美術界と一般人のあいだで旋風を巻き起こした。
作品創作のほか、グエン・ザー・チーは造形美術、特にベトナム漆絵芸術に関しての意見を表明している。これらの意見は画家グエン・スアン・ヴィエットによって書き写され、まとめられて『グエン・ザー・チー、創造について語る』という本として印刷された。この本は多くの研究者や美術界全般にとって研究の価値がある。
記念式典の中で、ベトナム美術協会会長チャン・カイン・チュン氏は、グエン・ザー・チーはベトナム漆絵芸術と近しい関係にあった先駆的画家のうちの1人であると述べた。グエン・ザー・チーは芸術作品の創作、漆絵芸術の探求・発展に人生すべてを捧げた。そして彼の作品はベトナム漆絵芸術のモデルとなった。彼はまた、洗練された筆遣い、大胆な色彩、そして巧みな技術で東西文化の2つの流れを調和させた点で、現代ベトナム造形美術において最も有名な第一人者の画家だ。北部の人々と風景は、いつも多くの作品で彼の創作のインスピレーションの源となっている。グエン・ザー・チーは芸術活動の熱意とともに生きた画家で、まさに芸術こそが彼にベトナムの有名な第一人者の画家という地位を与えたと言うことができるだろう。
ホーチミン市美術協会会長のウィエン・フイ氏は、グエン・ザー・チーが才能、作風、強烈な個性のある画家だと評価している。グエン・ザー・チーは自身の才能、芸術愛、革新に対する渇望、材質の扱い、言語創造、独自の方法による漆絵作品の創作によって、ベトナム現代美術の威信に貢献した。ベトナム漆絵と言えば、彼がまさに最も独特で最も深みのある印象を作った人だ…。
美術評論会副会長のグエン・ヴァン・チエン氏は、グエン・ザー・チーが創作探求をし、伝統的で、飾りつけのためにもともと使い慣れていたものを漆絵の材質にした、先駆的な画家だとしている。グエン・ザー・チーは漆絵を高い地位に押し上げた人物だ。彼は20世紀初めのベトナム絵画界の四巨匠 「一に(グエン・ザー・)チー、二に(グエン・チュオン・)ラン、三に(トー・ゴック・)ヴァン、四に(チャン・ヴァン・)カン」のトップにたつ人物であると見なされていた。彼の漆絵の世界は現実でありながら、幻想でもあり、高価な漆を輝かせ、美に関して尽きることのない切望を呼びおこす。
自身の父についてグエン・ザー・トゥエ(グエン・ザー・チーの息子)が言うことには、彼は特に仕事に集中している時に無口だったという。この性格のためか、多くの人は彼が気難しい人だと考えていたが、実際は非常におもしろくて近寄りやすい人だった。彼は地味な生活をしていたが、筆使いにおいては極めてまじめで丁寧だった。
2012年、グエン・ザー・チーは「中南北部の春の庭」を含む5つの漆絵作品(他「芙蓉の木のそばの少女」「蓮の沼のほとり」「庭で」(8枚)「農村の風景」)に対して、芸術文学に関するホーチミン賞を贈られた。彼の名前はホーチミン市にある通りの名前にもなっている。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:武重真優子 )
( 記事ID:4477 )