プラボフォ氏大臣候補に、インドネシア科学院研究者の評価は 「権力を分け合うなら選挙は必要なのか」
2019年10月23日付 Kompas 紙
官邸でプラボウォ氏と握手するジョコ大統領
官邸でプラボウォ氏と握手するジョコ大統領

ジャカルタ、kompas.com配信

インドネシア科学院(LIPI)研究員のシャムディン・ハリス氏はジョコ・ウィドド大統領が野党議員を大臣として内閣に迎え入れる試みを批判している。

同氏はジョコウィ大統領がグリンドラ党のプラボフォ・スビアント党首とエディ・プラボフォ副党首を大統領官邸に召集したことを引き合いに出した。

プラボウォ氏とグリンドラ党が2019年大統領選ではジョコウィ大統領の対立候補だったにもかかわらず、彼らは大臣候補として想定されていた。

「最終的に今回のように権力が勝者と敗者で分配されるのなら、我々は一体何のために選挙をするのだろうか。サッカーで例えるならば、全員がトロフィーを得るようなものである」シャムスディンはジャカルタ市内のカフェで行われた第二次ジョコ内閣についてのディスカッションの場で、こう述べた。

「そのようなことは民主主義の合理性と矛盾する」と同氏は評価した。なぜなら、大統領選挙において、勝利した側が権力の座につく権利を有するからだ。

一方、敗北した側は謙虚な姿勢で、政府野党としての役割を果たさなければならない。

「プラボウォ氏とエディ氏が入閣を呼びかけられたあとすべての党に入閣が呼びかけられた訳ではない。すべての党に入閣を呼びかけられ、いわば反対派がいない、または野党が福祉正義党(PKS)のみとなれば、統合主義的国家モデル、家族主義的国家モデルと呼ばれる状態をもたらす可能性があり、民主主義を脅かすだろう」とシャムズディン氏は述べた。

「そのような国家概念において反対派は存在しない」とも述べている。

皆が家族のようであり、その結果として世帯主が家族のメンバーに苦痛を与えることはないかもしれないが、その逆もしかりだ。

「本来ならジョコ大統領はグリンドラ党を内閣に誘う必要はなく、プラボウォ氏と仲間はその誘いを断るのがしかるべき態度だが、仕方がない、すでに起こったことだ」と同氏は述べた。

シャムスディン氏は政治活動の要素においてこれを表面的な形であると見なしている。同紙によると、本来尊ぶに値する政治活動というのは政府の支持者と反政府派それぞれの立場を尊重する政治である。

「あるいは、敗者が勝者を認め、勝者が敗者を尊重するというスポーツマンシップを尊ぶ政治である」と述べた。

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( 翻訳者:泉 洸希 )
( 記事ID:4952 )