ベトナム-ラオスの全面的協力・特別団結関係を高みに押し上げる
2019年10月27日付 VietnamPlus 紙
1950年、抗仏戦争におけるラオスーベトナム連合軍
自然地理と社会の特性上、ベトナムとラオスの2カ国は長い間自然発生的な生存関係を持ってきた。
19世紀後半になると、ベトナムとラオスはフランス帝国主義に侵略され、ベトナムとラオスの2民族は奴隷の状態となり抑圧され、激しく搾取された。この歴史的状況によって、ベトナムとラオス両民族は、共通の敵と闘うため密接に連携し、心を一つに協力する必要があった。
特に20世紀初頭に指導者であったグエン・アイ・クオックが、マルクス・レーニン主義の光を資本主義と帝国主義の奴隷となっていた各民族を解放する運動にもたらしたときに、両国の存在と発展の過程は、この原則を確かめてきた。ラオスでの「ベトナム義勇軍・専門家伝統の日」70周年を記念して(1949年10月30日-2019年10月30日)、ベトナム通信社はラオス支援のためのベトナム義勇軍・軍事専門家協会会長で、元ベトナム義勇軍政治委員、元ラオス支援のためのベトナム軍事専門団団長であったフィン・ダック・フォン氏による「ベトナム-ラオス間の包括的協力関係を更なる高みへ導く特別な協力と友好関係」の記事を尊敬を込めて紹介した。
70年のうちに、ベトナムとラオスの友好と特別な関係は、歴史的事実によって確かめられ、両民族の指導者らによって築き続けられ、それと共に両国の各世代の指導部や人民はいくつもの歴史的変遷を乗り越え、功を成し、様々な困難や障害、浮き沈みを乗り越えて、稀に見る誠実な関係を築き上げてきた。
民族解放抗争が始まってすぐ、敬愛なるホーおじさんは、ベトナムとラオスのふたつの民族が団結して戦うという関係の保持、強化は、両民族にとっての生死に関わる課題だと常に認識していた。そのときから、両国の運命は、数百万のラオス人とベトナム人の心に永遠に刻まれ、両国民はより密接に繋がることになった。両国民は、戦友となり、苦楽を分かち合い、同じ塹壕で共にあり、生死を共にし、苦楽を共にし、近しい同志、兄弟となった。
植民地・帝国主義者への2つの民族解放抗戦の中で、ベトナムとラオスの両民族の無私の助け合い、義理と人情、厭わぬ犠牲は、両国の革命の勝利の重要なファクターであった。両国の自由、独立のために、ベトナムとラオスの友情と戦う団結のためには、ラオス、ベトナム両民族数百万人の多大な戦いと犠牲があった。
ベトナムとラオスの関係は非常に特別で、非常に兄弟的であり、血を分け合ったような仲で、ベトナムの義勇軍とラオスの各部族の優秀な子弟は「お椀のごはんは半分に分け、一粒の塩も嚙み分け」、密接に連携し、戦闘の中で鍛えられ経験を重ね、民族解放のために犠牲を厭わず、時代の唯一無二の友情の輝かしいシンボルとなった。
こうした崇高な模範や血や骨の非常に大きな犠牲は、比類のない力となり、大きなモチベーションとなって二カ国の革命に次から次へと勝利をもたらし、幾多の危機一髪の状況を乗り越え、1975年の完全な勝利へと向かった。この過去の遍歴から、ベトナムとラオスの2カ国は、より完成されたより美しい刷新と国際統合、国家建設の時代を自信を持って歩むことができるのである。
1975年の勝利の後、ベトナムとラオスで平和が再建された。両国の関係は新しい時代、平和と独立、共に社会主義を建設する時代へと移った。ベトナムとラオスの両政府は1977年7月18日に友好協力条約を締結した。これによって、不変の特別な団結の精神が再確認され、独立、主権、全領土の防衛に互いに助け合い、東南アジア地域と全世界での両国の地位を高めるため対外活動での協力が強化される。
これはまた、新しい時代におけるベトナム-ラオス間の特別な関係を成長させ拡大する盤石な法的基礎となり、各組織、各層の人々の間の交流事業においてや、日々増えている国際関係において、両国が共に発展するための大きなモチベーションを作りだす。
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( 翻訳者:大日向爽 )
( 記事ID:4994 )