41年前の北方国境防衛戦闘[中越戦争]を回顧する
2020年02月17日付 VietnamPlus 紙
1979年2月20日、ランソン省ヴァンラン県タムルン社の409高地を奪回するランソンの第3大隊・第10中隊の戦士
1979年の北方国境における祖国防衛戦闘は、国家の神聖な主権を防衛するベトナム民族の正義の戦闘であった。
平和を好む性格を元来有す民族として、ベトナムは常に各民族と平和に暮らすことを望み、世界の平和・進歩を築く努力をしてきた。しかし民族の独立・主権が外部勢力によって一旦脅かされれば、ベトナム民族は常に「むしろ全てを犠牲にしても、国を失い奴隷となることに絶対に甘んじず」の意志・決意、「祖国がなんとしても生きるために必死となる」精神、「国を維持するために最後の血の一滴まで犠牲となる」用意を強力に発揮し、それらをもって心を一つにし団結してきた。
1979年2月17日の出来事の回顧
41年前の今日1979年2月17日に、それ以前から暴露されていた計画を実行して、中国当局は約60万人の軍と500台以上の戦車・装甲車、数千の各種火砲を動員し、ベトナムのライチャウ省フォントーからクアンニン省モンカイに至る北方国境全線でベトナムの領土を侵犯する進攻を始めた。
正当な自衛権を行使して、ベトナムの軍と人民は勇敢に戦い、激しく反撃した。その時、ベトナム人民は大きな試練に直面していた。抗米救国戦争が終わって(1975年)間もない時で、戦争の後遺症はまだ重くのしかかっていた。カンボジア人民を支援する国際的任務を遂行し、西南国境防衛戦争[カンボジア戦争]を終えたばかりで、ポル・ポトの民族皆殺し体制を覆し、国の復興をおこなっているところであった。
経済はアメリカの経済制裁により非常な困難にぶつかっており、国内外の反動的勢力は破壊活動に血道をあげていた。
それとともに、この歴史的衝突は両国人民の心理・感情にとても大きな作用をもたらした。というのは、中国は以前の2つの救国抗戦(フランス植民地主義とアメリカ帝国主義に対するもの)において、ベトナムのために物心両面で政治的に多大の支持・支援をしてくれた国だからである。
1979年2月17日の中国の大規模な進攻の前に、ベトナム政府は明言していた。すなわち、中国当局は人民の利益に逆行し、両国人民の間の団結・友好の感情を大きく損なっているとし、同時にベトナムの軍・民は自分の正当な自衛権を行使し反撃せざるをえない、としていた。
国が脅かされ、山河が危機に陥れば、「南国山河」の文言が[11世紀に宋の侵略を打ち破った時に、李常傑が読み上げたとされる詩:南国山河南帝居、截然定分在天書、如何逆虜来侵犯、汝等行看取敗虚]、すべての村々や街の通りにとどろき、兵士は、すすんで武器を受け取る最初で最後の人となった。そしてすべてが、ベトナムの一人一人に常に伝承され現有されている、独立・自由・平和・領土主権・自力自強の意気込みとなった。
その正義と渇望は、わが党の聡明な路線と再組織化によって、勝利へとつながる民族全体の強い力へと変えられた。
大きな損害を受け、出されていた基本目標にも達せず、国際世論によって強く非難され、1979年3月5日、中国政府はベトナム領土から軍を撤退させると宣言した。
仁義の伝統をもって大局を重んじ、平和を強化し両国間の友好関係を回復することを望み、ベトナムの党中央と政府は、北方国境戦線の武装勢力と人民に、中国軍が撤退して帰国するために、あらゆる軍事行動を停止する指示を出した。
1979年3月18日に中国はベトナムからの軍隊の撤退を完了した。
戦闘は丸1か月繰り広げられた。しかしながら衝突はその後10年間、1989年まで続いた。
忘れることができない歴史
祖国の国境防衛戦闘において、わが数千の戦士と人民が、民族の独立・主権を守り維持するために勇敢に斃れた。彼らの勇敢な犠牲は不死の勇壮な歌となり、ベトナムの軍・民の戦闘の強さ、愛国精神と正義を立証した。
41年が経過したが、北方国境での祖国防衛戦争の痛みは依然として残っている。この国の土地は戦争の痕跡にあふれている。現在にいたるも、祖国防衛と北方国境侵略に対する戦争における、わが軍・民の人的被害の正確な統計はまだない。
しかしながら、一か所の戦線の統計だけでも、戦争の激しさと痛ましさ、損害を見るのに十分である。ヴィスエン(Vị Xuyên)の戦線だけで5000人近くの幹部・戦士が犠牲となり、そのうちの1700人余りの遺骨が発掘されているだけで、3000人余りの遺骨は岩穴の中にちらばって横たわり、険しい山腹の木々の根元に埋まったままである。
党・国家・人民は、北方国境防衛戦闘で勝利をかちとるために戦い犠牲となった同胞・幹部・戦士の功労を決して忘れることはない。烈士英雄、負傷兵、烈士家族の偉大な犠牲・貢献は永遠にベトナムの一人一人の心に刻まれる。
41年前の祖国の北方国境防衛戦闘を回顧することは、その防衛戦闘の歴史的事実と正義性を確認することである。また戦闘し犠牲となって祖国の国境の土地を防衛した同胞・戦士の恩を知り、顕彰することである。また、祖国の独立・自由・統一・主権を守り領土保全をするため、その青春・肉体・生命を惜しむことがなかった父兄の世代に対して人民に、とりわけ若者に深く恩を知る心や愛国的伝統を宣伝し教育することである。
平和と繁栄のために未来に向かう
ベトナム人民は常に、以前の民族解放闘争と今後の国家建設事業において、ベトナム人民に割かれた兄弟国・中国の党・政府・人民の多大な支持と支援を深く恩を知る心をもって記憶している。
歴史によれば、両国間の友好・協力関係の間断なき強化・発展は、両国人民の基本的・長期的利益と完全に合致し、地域と世界における平和・安定・協力・発展を増進するのに貢献してきた。
歴史的事実は歪曲したり覆すことはできない。1979年の北方国境における祖国防衛戦争は、国家の神聖な主権を防衛するベトナム民族の正義の戦闘である。
この戦闘は、今日の若い世代が正義と、あらゆる代価を払って主権・独立の防衛と領土保全をなしとげた前の世代の果敢さについて、よりよく理解するために歴史に記される必要がある。今後の世代が平和の価値を大切にするために、1979年の北方国境において発生したことの推移と祖国防衛の戦争を思い起こすのである。ベトナム人民と中国人民はいずれも平和・安定・協力と発展を望んでいる。
多くの歴史的証人(この戦争に直接参加した人々)の記憶の中では、彼らは祖国防衛のために戦闘し、侵略軍に抵抗するために戦闘したのであって、隣国の人民に反対するために戦闘したのではない。隣国の人民は元々、我々の友であり、彼らもまたとても勤勉に労働し、平和・協力・友好・発展の願望をもっている。そのため今日、私たちは各国家間の各民族の団結の情を築かなければならない。
過去数年、両国間で多面的な友好・協力関係を増進する数多くの活動がなされてきた。特にベトナム指導部が中国指導部に送ったベトナム・中国外交関係樹立70周年記念日の祝電(1950年1月18日~2020年1月18日)には、次のようなくだりがある。「ベトナムの党・国家の一貫した長期の方針は、中国の党・国家・人民との伝統的な友好関係と包括的戦略的パートナーシップの発展をきわめて重視し、すすんで尽力し第一の優先とすることである。実践が証明するところでは、両国間で相互尊重・互恵的協力の基礎の上に健全で安定的な方向に沿った友好関係を間断なく強化・発展させることは、両国関係の促進においてきわめて重要な意義を有し、両国の人民の基本的・長期的利益と合致し、地域と世界における平和・安定・協力・発展の増進に貢献する」。
中国指導部がベトナムの指導部に送った祝電には次のようなくだりがある。「外交関係を樹立した時から現在までの70年間を通して、両国の先輩の指導者たちによって築かれ苦労して育まれてきた友好の情は花を咲かせ実を結び、長足の進歩を遂げた。両国関係はすばらしい発展傾向を維持し、各分野での交流・協力は広さと深さの両面で間断なく発展し、両国の人民に現実的な利益をもたらしている。
かつてない大きな変動に直面している今日の世界と過去を継承し未来を開く肝心な時期に転換した中越関係を背景に、中国は中越関係の発展を高度に重視し、中越関係の正しい発展方向を努力してベトナムと共にしっかりと掌握し、中越の包括的戦略的パートナーシップを促進して間断なく新たな段階へと上がっていくことを望んでいる」。
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( 翻訳者:メディア翻訳ベトナム語班 )
( 記事ID:5147 )