解放通信社のジャーナリスト・戦士 ―確かな書き手、しっかりした射撃手
2020年04月25日付 VietnamPlus 紙
民族の英雄的な歴史の局面(1960年10月-1976年5月)で設立・発展した15年以上の間、解放通信社は名誉ある任務をひときわ出色に成し遂げ、南ベトナムの軍や人民、全国の人民の壮烈な歴史の1ページに積極的に貢献した。
1.毎日18時にハノイから発信されていたニュースは、当時、国内外の多くの情報機関にとって欠かせない情報源であった。
2.記者は、南部の戦場のホットスポットである殆どの戦線に出向いて、歴史を記録したり、戦闘に直接に参加したりしていた。
3.南ベトナム解放民族戦線とその後は南ベトナム共和国臨時革命政府の正式な報道機関となり、いたるところで我が同胞の闘争経験やニュースを宣伝し広めた。
4.時事的にホットなニュースや写真は、鋭く強力な革命闘争の武器となった。
5.ベトナム革命報道史上、ジャーナリストの最大の犠牲者を出した報道機関である。統計は不十分なものの、解放通信社の240名もの記者や編集員、技術者、電信員らが通信任務の最中、あるいは直接に戦闘中に犠牲となった。
6.国土の統一にいたる我が民族の輝かしい戦功を築き上げるきわめて重要な貢献をした。
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( 翻訳者:山本美帆 )
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