ホーおじさんがベトナム青年突撃隊を創立した70周年式典
2020年07月07日付 VietnamPlus 紙
ディエンビエンフー作戦のために自転車で物を運搬する民工
1950年初め、党中央はカオ・バック・ラン国境作戦の開始を決定し、道路建設・武器運搬などの重要な仕事を担い奉仕する民工勢力の動員を必要とした。
7月7日、ベトナム青年歴史遺跡区(タイグエン省ダイトゥー県イエンラン社)において、元ベトナム青年突撃隊隊員会中央は、ホーチミン共産青年団と合同で、ホーおじさんがベトナム青年突撃隊を創立した70周年(1950年7月15日―2020年7月15日)と傷病兵・烈士の日73周年(1947年7月27日―2020年7月27日)の式典を開催した。
国会副議長のドー・バー・ティ大将、タイグエン省指導部代表、全国63省・都市からの元青年突撃隊隊員300人以上が記念式典に出席した。
記念式典で、各代表は元ベトナム青年突撃隊隊員会の勇ましい伝統を共に振り返った。
名誉あるベトナム青年突撃隊は、ホーおじさんの主張に基づき設立されたことを誇りにしている。
その主張は、フランス植民地主義に対する抗戦の現実的状況から端を発している。
それは、われわれの勢力が日増しに強力になり、抗戦が新たな段階に転じた1950年初めのことであった。わが党は、抗戦をさらに推進し、大勝利獲得を準備する任務を速やかに完遂する方針をとった。
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その精神をもって、1950年9月[原文ママ]、党中央は、敵の生命力の一部を消滅させ、北方国境地方を解放し、ベトバック根拠地地区を拡大し、主戦場での主導権を握るため、カオ・バック・ラン国境作戦を開始する決定を下した。
その大きな任務は、道路建設、食糧・武器の運搬、戦闘部隊の支援といったきわめて重大な仕事を担い奉仕する民工勢力の動員を必要とした。
実際、部隊は何にでも人員が十分であったわけではなく、人民、最前線民工などを動員しなければならなかった。
しかしながら困難で危険な任務は、若くて頑健な勢力、勇敢な精神、しっかりした管理・指導組織があってはじめて重責を立派に果たすことができる。
そのような勢力を設立することに関するホーおじさんの意見は、党中央と政府によって賛同をえた。かくて青年突撃隊が1950年7月15日に設立された。
ホーおじさんがベトナム青年突撃隊を創立した70周年式典の後、各代表は7月27日国家歴史遺跡区にて焼香した。ここは、わが国において「傷病兵・烈士の日」誕生を記したホー・チ・ミン主席の書簡を公表した場所である。
これに際して、元青年突撃隊隊員会はベトバック6省の同会支部に贈り物を、タイグエン省の政策家庭[生活保護家庭]に3軒の「情義の家」を、タイグエン省内の元青年突撃隊隊員の10家族に贈り物を贈呈した。
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( 翻訳者:メディア翻訳ベトナム語班 )
( 記事ID:5458 )