ベトナム民族の偉大な旅路の第一歩
2021年06月05日付 VietnamPlus 紙
ベトナム民族の偉大な旅路の第一歩
110年前の1911年6月5日、ニャーゾン港から、ホー・チ・ミン主席は、当時はグエン・タット・タインという名前で、救国、救民の道を探すために外国への旅路を開始した。
ホーおじさんが救国の道を探しに出た日から110年
(1911年6月5日~2021年6月5日)
ベトナム民族の偉大な旅路の第一歩
マルクス=レーニン主義と、科学的社会主義の学説に接し、領袖グエン・アイ・クオック(ホー・チ・ミン主席)は新時代のベトナム革命理論の基礎を確立し、19-20世紀の間にあった救国の道の危機を終わらせた。
あの方は時代の趨勢に応じ、正当な救国の道を選んだ。それは、のちにあの方が「救国と民族解放を望むなら、無産革命の他に道はない」と総括したように、無産革命の道であった。
あの方はマルクス=レーニン主義の灯をもたらし、ベトナムの愛国運動、伝統的愛国主義への道を照らし、愛国主義を時代に合ったものに高め、ホー・チ・ミン愛国主義となっていった。
フランス植民地主義者 (1945-1954)と侵略的アメリカ帝国との抗戦(1954-1975)という民族の2つの勝利は、ホー・チ・ミン時代のまばゆく輝く象徴であり、20世紀のベトナム民族全員の運命を変え、社会主義と今日の祖国の発展への道を開いた。
ベトナム民族の救国、発展の道を探すことにより、ホー・チ・ミン主席は、世界やアジアの植民地各国の民族解放運動、ひいては無産革命運動の新たな発展段階を開くためにとても大きく貢献し、その実質的な準備を行った。
110年前の1911年6月5日、ニャーゾン港から、ホー・チ・ミン主席は、当時はグエン・タット・タインという名前で、救国、救民の道を探すために外国への旅路を開始した。
これは、20世紀におけるベトナム民族の存続と発展と、今日の社会主義の道のために、闘争の歴史の中で特別重大な意義をもつ出来事である。
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( 翻訳者:浅田大輝 )
( 記事ID:6058 )