チタヤム・ファッション・ウィーク: 庶民のたまり場、いまや富裕層に「乗っ取られ」
2022年08月08日付 Kompas 紙
ドゥク・アタス駅の横断歩道を歩くチタヤム・ファッション・ウィークの若者たち
ドゥク・アタス駅の横断歩道を歩くチタヤム・ファッション・ウィークの若者たち



ジャカルタ、Kompas.com配信

チタヤム・ファッション・ウィークは、中央ジャカルタのドゥク・アタス地区にある横断歩道で行われている「ファッションショー」である。
まるで、かの有名なパリ・ファッション・ウィークさながらに、モデルたちはユニークな衣装を身にまとい、体を揺らしながら道を横断する。
違いはといえば、チタヤム・ファッション・ウィークを賑わしたモデルたちが、ジャカルタの周辺地域であるデポック、チタヤム、ボジョングデ出身の若者たちだったという点である。
こうしたことを背景に、「チタヤム・ファッション・ウィーク」という言葉が生まれた。


チタヤム・ファッション・ウィークは、西ジャワ州ボゴール県タジュルハラン郡の村であるチタヤムとは全く関係がない。
インタビュー映像がソーシャルメディア上に出回ったことで、ドゥク・アタス地区はチタヤム・ファッション・ウィークの開催地として広まった。
そのインタビュー映像には無邪気な若者たちの様子が映し出され、笑いを誘っていた。
それだけではなく、インタビューを受けた若者たちの多くはユニークで特徴的な衣装を着ていた。
話題となったこの映像から、クルマやボンゲ、ジェジェ・スレベウ、ロイ、アルピンといった若者たちが注目を集めたが、彼らは全員ジャカルタ周辺地域の出身であった。
出回った映像の多くでは、それらの地域で「たむろ」して楽しんでいる若者たちも見られた。

アッパークラスによる「乗っ取り」

しかし、チタヤム・ファッション・ウィークの情報が拡散してからというもの、現在、ドゥク ・アタス地区は大変な賑わいだ。
ジャカルタの若者がたむろし娯楽を求めてくる場所だけではなく、高級官僚や中上流階層、また芸術家がコンテンツを作る場所ともなった。

この現象について、インドネシア大学のHari Nugroho社会学者は自身の見解を述べた。
同氏は、「チタヤム・ ファッション ・ウィーク」の流行は、より多くの社会的および経済的資本を持つ中上流階層によって「牛耳られる」可能性があるという。
そうして、このトレンドの元祖であったチタヤム、ボジョングデ、デポックの若者は退けられることとなるのだ。
 


このアリーナは、より力と資本を持っている人、つまりジャカルタの中上階層、または政治的目的のためにその舞台を利用しようとするものに仕切られる可能性があると同氏はコンパス紙のインタビューで語った。同氏はまた、この状況のせいで最終的に子供たち (チタヤムの若者) は退けられるか、もしくは、補助的な役回りになり、この舞台における主体ではなくなる可能性を述べた。

長くは続かない

同氏はまた、「チタヤム・ファッション・ウィーク」の流行は自然発生的なものであるため、長くは続かないと予測する。
その流行は人気が人気を呼んでいるだけなので長くは続かない。それは構造を持たない流動的な自発的なコミュニティーとして発生しているのだと同氏は述べた。
チタヤム ・ファッション ・ウィークの現象は、ジャカルタの郊外に、若者のための公的スペースがない中で発生した流行であると同氏は述べた。

チタヤム、ボジョングデ、そしてデポック出身の若者たちは、ジャカルタの中心部でファッションの競い合いよろしくたむろすることで、流行を作ろうとした。
のちに、この動きはソーシャル メディアで記録されるまで有名になった。
加えて、同氏はチタヤム・ファッション・ウィークの群衆が、有力な扇動者なしで現れて拡大したと推測する。
かくして、このチタヤム現象はジャカルタの衛星都市部には若者たちがアイデンティティを表現し、構築するための場がないがゆえに生じた。
「そして偶然にも、スディルマン地区の場所はその舞台を提供した」と同氏は続けた。

アニスとリドワン・カミル

話題になった後、多くの人物によってチタヤム・ファッション・ウィークは活気づけられた。


DKIジャカルタ知事のアニエス・バスウェダンと西ジャワ州のリドワン・カミル知事も「ストリート・キャットウォーク」を試みた。
それだけでなく、多くのプロのモデルやインフルエンサーたちも、取り残されまいと参入し、ソーシャルメディアでコンテンツを作成している。

しかし、若者のアイデアから始まったチタヤム ファッション ウィークは、現在、インフルエンサーによって奪い合われている。
知的財産権 (HAKI) をめぐる争いで 2 人のインフルエンサーが知られている、それらは バイム・ウォン が所有する タイガー・ウォン・エンターテインメント社と インディゴ・アディティア・ヌグラハが所有する会社のことである。
バイム・ウォンはまた、来る8月に自身の会社名を冠してチタヤム・ファッション・ウィークを開催すると言われている。
正式な知的財産申請の期間中、Baim氏 は登録番号 Jid2022052181 のブランド名を チタヤム・ファッション・ウィークの名 で申請書を提出した。
同氏 の申請は、2022 年 7 月 20 日に司法・人権省で記録された。

一方、司法・人権省の知的財産総局(DJKI)の広報コーディネーターであるイルマ氏は、チタヤム・ファッション・ウィークの主張をめぐる争いに何の問題点も見出さない。
商標を手に入れるプロセスには長い時間がかかり、申請者が満たさなければならない要件によって異なると同氏は言う。
「同じブランド名で登録したい人が 10 人いたとしても問題ではない。ただし、後でブランド審査官が要件の完全性を確認する」と 同氏は述べた。
その後、司法・人権省の知的財産総局が 2 か月以内に結果を発表する。

スラカルタにある国立三月十一日大学の社会学者ドゥラジャット・トゥリ・カルトノ氏は、若者が自分のアイデンティティを強調する方法の 1 つはストリート ファッションであると評価する。
ストリートファッションの存在から、そんな若者たちが注目を集め、その存在が認められるようになった。
さらに、同氏は チタヤム・ファッション・ウィーク を都市部における秩序転覆的行と見なしている。すなわちこの現象は、ある特定の需要へのアクセスを阻まれた階層の人々自身の、主体性や独創性、そして実行性といったものの存在をほのめかしているのだ。
この文脈において、同氏は見栄えが良く、誰からも承認される衣装が必要であると考えている。 悲しいことに、そうした衣装のすべてが手頃な価格で入手できるわけではない。
どのような階層の人々も、ファッションショーといったモードの祭典に参加する欲求は持っている。 ただし、誰でも参加できるわけではない。
そこから、要求を持ちながら、それにアクセスすることのできない人々の創造性が発動されるのだ」と、先週同氏は述べた。「このような創造性は、路上で発展する。秩序転覆的な都市文化は路上で発展し、やがてチタヤム ・ファッション ・ウィークのような表現が現れる」と同氏は続けた。

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( 翻訳者:本村優妃 )
( 記事ID:6473 )