南ベトナム共和国臨時革命政府の役割
2023年06月06日付 VietnamPlus 紙
【写真②】上空から見える南ベトナム共和国臨時革命政府事務所
南ベトナム共和国臨時革命政府の役割
南ベトナム共和国臨時革命政府の誕生は、権力を人民の手に勝ち取る過程において南部の革命にとって欠かせない発展の歩みだった。
6月6日クアンチ省は、ホーチミン国立政治学院と政府事務局と連携し省庁レベルの学術シンポジウム「抗米救国戦争における南ベトナム共和国臨時革命政府の歴史的証拠と役割」をドンハ市にて開催した。
この行事は、カムロでの南ベトナム共和国臨時革命政府事務所誕生50周年記念の一連の活動の一環である。(1973年6月6日-2023年6月6日)
政治局員でホーチミン国立政治学院所長のグエン・スアン・タン中央理論評議会議長がシンポジウムを取り仕切った。様々な省庁、委員会、業界そして研究者、歴史的証人の代表が200以上出席した。
省庁レベルの規模で抗米救国戦争における南ベトナム共和国臨時革命政府の役割についてのみ開催されるシンポジウムはこれが初めてである。組織委員会は歴史的証人や研究者から40を超えるペーパーを受け取った。
シンポジウムでは、政治局員でホーチミン国立政治学院所長のグエン・スアン・タン中央理論評議会議長が、南ベトナム共和国臨時革命政府の誕生と抗米救国戦争の事業に対する大きな貢献、クアンチ省における南ベトナム共和国臨時革命政府の傑出した軌跡、南ベトナム共和国臨時革命政府の活動に対するクアンチ省の党、地方政府、人民の貢献を強調した。
グエン・スアン・タン政治局員によると、南ベトナム共和国臨時革命政府の事務所は歴史的使命を完遂した後、管理のために民事機関に引き渡された。事務所は1991年に国の史跡に登録された。2007年になると、史跡の多くの重要な部分が改修・修理された。
クアンチ省の南ベトナム共和国臨時革命政府事務所史跡区は、全民族の大団結の強さとホーチミン時代のベトナムの革命英雄主義の輝かしい象徴であり、国の独立、自由、統一への渇望を体現するものである。
グエン・スアン・タン政治局員は、クアンチ省が愛国・革命伝統を継承・発揮し、南ベトナム共和国臨時革命政府の事務所として選ばれた土地にふさわしくあるために、省の党委員会、政府、人民は、あらゆる潜在的可能性や優位性を呼び起こし発揮し、あらゆる資源を動員して経済発展を牽引し、第13回党大会決議と第17回省党大会決議を首尾よく実施し、クアンチ省が、発展レベルが2025年までに中~高レベルのグループに、2030年までに全国の優良省のグループに入る省になるよう、これまでもこれからも努力するものと確信していると述べた。また省の党委員会は困難を乗り越えて鍛え上げらており、クアンチ省を躍動させるための実質的な中核、機関車となり、安定し、団結し、統一性の高い「鋼鉄の要塞」でなければならないと述べた。
ホーチミン国家政治学院党史研究所のチン・ティ・ホン・ハン准教授によると、南ベトナム共和国臨時革命政府の誕生は、権力を人民の手に勝ち取り、革命政権を樹立し、政権の制度を確立させ、政権に愛国者層が参加する土台を作る過程における、南部革命の不可欠な展開であった。
この出来事は、抗米救国戦争において南北二地域の軍隊と人民を動員・鼓舞し、完全勝利を勝ち取るための闘いへの決意をもたらすことに大きな意義を持った。
南ベトナム共和国臨時革命政府の樹立は、南ベトナム人民を代表する政府が必要であったパリ会議での外交闘争の要請に対応したもので、パリ会議と国際舞台における革命政権の法的な地位と位置づけをさらに高めた。
ベトナム戦争の終結と和平樹立に関するパリ協定が1973年1月27日に締結された後、クアンチ省は二つの異なる地域を形成した。それは社会主義である北部に隣接する地域の85%を占める解放地域で、敵に一時的に支配されたのは残りのわずか15%の地域である。当時クアンチ省は政治、軍事、外交において戦略的な役割を担っていた。
そのような背景の中で、政府は南ベトナム臨時革命政府の事務所を置くためタイホア村(後のクアンチ省カムロ県カムロ町タイホア地区)の土地を選ぶことを決定し、1973年から1975年までここで活動した。
1973年6月6日、南ベトナム共和国臨時革命政府はクアンチ省の数万の同胞や兵士の前で発足式を行った。
【写真①】政治局員でホーチミン国立政治学院所長のグエン・スアン・タン中央理論評議会議長がシンポジウムで報告した。
【写真②】上空から見える南ベトナム共和国臨時革命政府事務所
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( 翻訳者:志知真帆 )
( 記事ID:6735 )