クーデタ後3年以上の間に、革命兵の死亡はザガイン管区が最多
2024年04月26日付 その他 - ミャンマープレスフォトエージェンシー 紙
2024年 4月26日 MPA CJ 017
軍評議会がクーデタを起こした2021年2月から2024年4月24日までの間に、革命兵士の死者数が最も多かったのはザガイン管区であったことが、スプリングレボリューションデータベース(SRD)で分かった。
SRDがデータを取っている3年以上の革命闘争の間、革命兵たちの死亡は4423人にのぼり、それらのうちザガイン管区単体の死亡者数は1773人である。
「ザガイン管区は革命の初期は軍評議会の拷問・殺戮のせいで地元民たちは “抵抗戦”として手製の銃などで戦闘を始めなければならなかった。全国規模で革命の勢いが強まってきたことで一斉に抵抗戦から反撃戦へ移り変わるところで、ザガイン管区はいち早くシフトした。そのせいもあり、死者が多く出た」とSRDのある担当者がMPAへ話した。
ザガイン管区で死亡した革命兵1773人のうち戦場で死亡した人数は868人で最も多く、2番目に多かったのは軍評議会の奇襲攻撃による死亡で、3番目に多かったのはとらえられ殺害されたことによるものであることがSRDの発表で分かった。
また、全国規模では、軍評議会軍により亡くなった革命勢力の数は、ザガイン管区に次いでマグェ管区が2番目に多いことが上記データに記されている。
「私たちアニャー[訳者注:ミャンマー中央部]地方について話すのは難しい。皆、できるところで奮闘している。アニャーでは戦闘する勇気のある人が多いが、武器が十分でないと死者数が多くなってしまう。そのため、団結の力でやっていかなければならない」とミンジャンブラックタイガー(MBT)の指導者ボー・マイッケーが話した。
現在、地上戦の情勢において軍評議会は劣勢であるため、民間人たちを標的にしており、戦闘での民間人の死亡はザガイン管区が全国で最多になっていることもSRDのデータから分かった。
写真‐ミンジャンブラックタイガー(キャプション‐MBT 部隊で死亡したある兵士の野辺送りの様子)
編集‐コー・サン
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( 翻訳者:N.T )
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